「声が大きいヤツ」
(以下に書くことは比喩的表現)
「声が大きいヤツ」ってのが今までの俺の人生で何十人、いや百人単位で、俺の人生の風景で「通過」していったような気がする。
ドップラー効果の救急車みたいな感じで、だんだんと遠くにいってしまった。
声が大きいヤツって俺の近くにいるときは当然、うるさい。けど、あんまりそれに対して感情を荒立たせないほうがいい。なぜなら、いつかはどっかいってしまうから。
うるせーからひとつの場所にとどまっていられないんだよ。結局居ずらくなって。
そういうヤツってどんどん移動していたるところでわめきちらして生きていくしかない。
なんか「声の大きいヤツ」と、仕事でもプライベートでも、関わるようになってしまったら、ほうっておきゃいいの。気にしなきゃいいの。
やがていなくなると思って。
ただ、そういうヤツらって基本バカだから、こっちがほうっている、気にしないでいる、という姿勢は見せとかなきゃダメだよ。
昔は、なんかうるせーな、と反論してみたり、あんまりうるさくて逃げちゃったりしたけど。。
いちばんサイアクなのは、自分もそれに同調して騒いじゃったりね。
そうなったら自分も人間のクズに堕するから、どっかでやめたほうがいいよ。
人生後悔したくなかったらね。
もうホントもろもろ。ごった煮(苦笑)
エンジニアライフのボツ原稿?というわけでもないけどラフスケッチの状態のまま放置され、ところどころ虫食いで採用。
◆
真夜中に、セブンイレブンに売ってるなんとかというお菓子を無性に食べたくなったら、ただ行き、そして買うだけです。
◆
おっと、これをいってしまうと身もフタもないな…(苦笑)
夜中に食べたくなるシリーズの続きですが、自宅にいるとき、深夜にどうしても、たまに職場近くで飲んだ後〆で食べているこってりラーメンが食べたくなった、と… 行くにしても、終電終わってるし… みたいな?
このぐらいになると、直線的に、行って買ってゲットする、というわけにはいかないので、我々の頭の中では「計画」が発動されてきます。
まず「計画」(すなわち"Plan")フェーズにおいて「おいおい、ホントに食べるのか?」「ダイエット中じゃないの?」とかそういう葛藤があり、でもお腹がぐーぐー鳴ってしょーがない、という喫緊の状況下でもあり(笑)、まず、"Go"/"Not go"が決まってきます。
本当にそれを食べるのであれば、まさに今タクシーに飛び乗って出かけるという選択肢もありますし、もう眠いし面倒くさいから動きたくない… というのであれば、「今はコンビニでカップラーメンでお茶を濁し、月曜の11時半にそこのラーメン屋に駆け込む」という選択もありますね。
あるいは、自宅から歩いていける距離の駅前の、求めているラーメンとはちょっと違うあっさりラーメンで手を打つとか(笑)。
こういうのも立派な「計画」です(笑)。
◆
何がほしいのか? 何を実現させたいのか? その規模が大きくなればなるほど難易度が高くなるので、”Plan”にかける工数も大きくなります。
そして、実際のIT業界におけるプロジェクトと同じように、莫大な工数をかけても完遂できない(実現できない)ことも多々ありますよね。
あるいは”Plan”のフェーズで「今のオレにゃムリだね」とあきらめることもあります。でも、どんな規模であっても、どんなに荒唐無稽であっても、死ぬほど「ほしい!」「実現させたい!」というのであれば、もう少し智恵が出てくるものです。
ビジネスの成功本は、おおよそそういうストーリーで書かれていますね。あ、あと「プロジェクトX」もそうでした(笑)。
◆
それが高いか安いか、大きいか小さいか、は関係なくって、何かモノ/コトを強く欲しい!!とと願い、実現させていくことは、未来を自分の思うがままに変える、ということなんですよ。
コンビニでコーヒーを買うのだって、そうなんです。コーヒーを飲んでカフェインを摂取してほっと一息ついている、という未来予想図を実現させにいってるだけですからね。
そして、強く願い、実現させる、の間には神は介在せず(苦笑)、"Plan"と"Do"があるだけなんです。"Plan"の品質が上がれば上がるほど、"Do"の品質も上がりますので、実現の可能性はあがります。(コンビニのコーヒーの例のように、簡単に実現させることができる場合は、計画は一瞬で終わりますがw)そして「強く願い」が強ければ強いほど、人を引き付けるんですよね。それを実現させるためにManPowerが必要になることは、規模によってはありますからね。
◆
えっと引き寄せの法則と「小損を取る」と"Plan"/"Do"の話との関連性についてはわかっていただけましたでしょうか?(苦笑)
それをドキュメンテーションするかどうかの話で、やりたいことを実現できている人は、「両輪」でやっているはずです。つまり、私のこの「小損を取る」理論と似たようなことを必ずやっているはずで、それぞれの方が未来を明るくする具体的手法をもっているはずで、その手法によりなんとなく未来を明るい方向へ向けながら、具体的な計画をたて、そしてそれを遂行している。
なんかうまくいってる感のある、いろいろ引き寄せてる「風」の人は、たまにいるんですけど、実はこういう方って無意識のうちに小損をとれてる人なんだと思いますよ。
私のように育ちの悪い人間(苦笑)は、そこに至るまで訓練が必要なわけですが、親の躾、教育、家庭環境が素晴らしかった人というのは社会に出た時点ですでに「小損を取る」の自動化ができているわけです。だから、強い。
そういう方の印象って「しなやか」なんです。
さて
小損を取るというベースがあり、引き寄せの法則の恩恵にあずかっているように見える人というのは、それは「たまたま」です。(ここ、重要)
小損を、「下心」なしに自動化して行えるようになった人は、小得なり、小得が積み重なった結果としての大得を引きます。(略)
なのでこれは「引き寄せ」とはまったく相反する考え方ですよね?
ここまでが前提。さて、どんな得を引くのかわからないのであれば、たまたま!自分が具体的に、強く、望んでいた事象を引き当てることも、ありますよね。「たまたま」。
そうなると、実現したほうもびっくりなので、周りにいいふらします。結果としてまるで「引き寄せた!」みたいになっちゃうわけです。
もうひとつのケースとしては…
まず、小得/大得を引くということは、イコール、「人生が好転する」ということです。ここまでは、異論ないですよね。
ただし、好転といってもじわじわです。
でも、じわじわであっても、好転していけば、マインドも変わってきますよね?当然。少しずつ、ポジティブに変わってきます。
(あくまで、少しずつです)
そうすると、ですね、ふつうの人は、何か強く願い事をしていたことなど、忘れてしまうのです。
何かを強く願っている状態、というのは、ほぼほぼ、人生が好転する前なんです。だから、望むわけですよね? 一発逆転的な何か、を。
でも、好転が始まると、その願っているものは必要なくなってきちゃうんですよね。
たとえば「報われたい」とか「感謝されたい」とか… 小損というのはそういう目的で取っていくわけではありません。当然、お金をゲットするためでもありません。
小損を積み重ねている過程で、ぽこっと願いがかなうことはありますが、それはただの偶然です。
そういうヒト(下心があるヒト)は、また「矯正」が必要なんですね… そういうヒトは、「こんなにオレ(アタシ)が小損をとってんのに、ぜんぜんいいことなんかねーじゃねーか!騙された!!」とか言い始めて、やめちゃうんですよね。
その考え方が根本的に間違っているのです。あるいは、「ぜんぜんいいことなんかねー」といいながら、毎日お腹いっぱい食べて生きていること自体が、その人にとっての「小得」なのかもしれません。
というかそういう考え方の人には「小得」しかきませんよね… 人生のバランス的に。「小得」を引いているだけでもうけもん、というか。
未来を「なんとなくいい方向に変える」ぐらいしか人間はできない。
人生とんとんである、という前提で、小損を取る
人間、無意識のうちに小得をとってしまっており、さらにそれに気づいていないので、たまに中くらいの損がやってきたときに、自分ばっかり。。という気持ちになる。
でも結局はバランスがとれている。
であれば、無意識のうちの小損をとり、たま~にささやかな「得」を引いたら、ラッキー! ついてるー! という人生のほうが
人生は概ねとんとんです。ということは、ですよ、現実として人生楽しく過ごしている人とそうでない人がいるということは、そこは単に気持ちの問題なんですよね。
私の「手法」は、経験として人生、悪いこともあったし、良いこともあったので、これからも、悪いことがあればまた良いことがあるだろうなとおもうだろうし、良いことがあれば悪いことは起こるだろうなと思いながら生きていくことがでいます。
私はもうずーっと小損をとり続けている人生ですが、それを自動化したところで日常で発生している悪いことを予防できるわけではありません。そのへんは、まったく、私のコントロール外だからです。ただし!私は、前も書きましたが、自分の寿命まで全うしたい!そこまでは植物人間とか寝たきりになりたくない!!という強い気持ちを持って生きていますので、そのために日常で小損をとっている格好ですので、おそらくそれは実現されるに違いないと思います。
具体的にいうと交通事故で即死とかはないんんじゃないかな、と。
あ、そうそう、それで、大事なことを書くのを忘れてました。
良いことの後には概ね悪いことがきます。その悪いことが終わったときに「『それほど』大したことじゃなかったな、と思える自分は成長したな」と必ず思うこと。
で、良いことがあったら、無邪気に、オーバーに、大ラッキー!」と思うことです。
そうすれば、事実としては「とんとn」であろうと、気分というか、自分の人生は最終的には六分四分ぐらいで満足のいく人生になるのです。
いや、それは贅沢すぎますねえ。52対48ぐらいまでもっていくのが目標。
凡人の話。凡人じゃない人はまた別なストーリーがあり、とんとんじゃないこともある。とんとんじゃないから凡人ではないのだ。
行動力
やっぱ俺のストロングポイントは行動力なんだろうなあ。
まずゼロを1にする的な。。つまり、ごろっと動かす(動く)力に長けている。
つかね、常に微動しているというかね。完全に固まってる状況であればごろっと自身を動かすのは面倒だろうけど、微動してれば動きだしはスムーズですよ。
なぜ常に微動しているか?それはね、いつでも何かトリガを見つけたら動いてやれ!と思っているからなんだよね。
あ、思い出した。野球でいうランナーの「りーりーりー」ってヤツ。でくの坊みたいに立ってたら次の塁陥れることできないからねえ。
で「情報」なんだけどさ。
ネットやテレビとかで情報収集するとかって「行動」ですらないのよ。
寝そべってスマホみてたりするだけじゃんそれ。
行動ってのはたとえば明日にどこぞでなんとかの展覧会が開かれています、と。それが情報。
すわ!いかねば!といってしまうのが行動でしょ。
そのなんとかの展覧会というのは頭の片隅でうっすらいってみたいなあという記憶がありました、と。
だったらその情報を差配してくれたのは神だか超越的存在であってだったら「今でしょ!」ってことなのよ。
そうそう、そういう「情報」がね、そのうちの重要なものは神の差配なんだろうなということに気づいたというか腹落ちしたってことなんだよ。
であればそれは最優先しなければならない。へたすりゃ仕事より優先になる。
「ぴーん」とくることってあるじゃない。いろんな「情報」をなぞってると。
そこで動けるかどうかなんだよね。
自分が頭の片隅とかで希求している情報があってさ、それを高い確率で神は差配してくれるわけなんだが、
それだけだろ。心理的デブをえっちらおっちらと物理的に腰を上げてくれて連れてってくれるわけでは決してない。
それをやるのは自由意志。
大部分の日本人は、情報を希求してるくせに、その情報が差配されてくるとためこんじゃうんだよね。
バカだよね~
だから、情報を蓄積してるヤツってたくさんいるけど(「らしいよ」連発するバカとかね)、ぜんぜんこわくない。
蓄積して腐らせていってるだけだから。そういうヤツは早々に(社会的には)消えてなくなる。
小ネタ集w(2)資本主義社会というもの
エンジニアライフのボツ原稿?というわけでもないけどラフスケッチの状態のまま放置され、ところどころ虫食いで採用。
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真夜中に、セブンイレ●ンに売ってるなんとかというお菓子を無性に食べたくなったら、ただ行き、そして買うだけです。
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個人の話にひきつけると、いろんな願望がありますよね。甘いものが食べたい、Just now!みたいなのから、もっと荒唐無稽な、不労所得を得て南の島で暮らしたい、みたいな?
そういうのって、ぜんぶ、箇条書きにしてリストアップすると、横一列に並ぶんですよ。
-----------上と下とはつながる?のだろう。。近くに書いてあったのだから。自分でもよくわかってないw------
過日自分が経験した損とこれから経験するであろう得とに因果関係はないと書きました。一方で、世の中には、直接的な因果関係をつくるための「お金」というツールがありますね。
私が今、まさに書いている小損を取るという考え方が、間違いなく普及はしないであろうというのは書いている私がいちばんわかっているのですが(涙)、その理由は、ふつうの現代人はすぐさま「得」がほしいからです。
損を取るのであれば、すぐに得がやってくるという条件なら構わない、ということです。
こっちは損するのに、どんな得がくるかもわからず、得がやってきてることに気づかないかもしれない、なんて、この高度資本主義社会では言語道断、というわけですね。
そこで登場するのが「お金」なんですけど、自腹を切れば昨今たいていのものが手に入ります。最近アマゾンで頼むと翌日に配送されてきますし(笑)。
「自腹を切る」というのはとてもわかりやすい「損」です。数値なので最初から定量化されています。小損なのか大損なのか、自分が失ったお金で測れば一目瞭然。
と、いうことは… 人間の願望というのはほぼほぼカネで解決できるという前提に立つならば、以前計画が大事と書きましたが、まずカネを稼げばいいのです。あるいはローンを組んでカネを借りればいいのです。
と、いう意味では、「計画」というのは多くの場合、ゴールのバリエーション(何がほしいか)はほぼほぼ意味をなさず、いかにカネを稼ぐか、ということに収れんされていきます。
これが、まさに、資本主義社会というものです(苦笑)。
階段と、エスカレータのぼり
えっと地下深いところからのぼるときね。
エスカレータ ながーいじゃないですか。
で、となりに階段があるとすると、階段を上るヒトってだーれもいませんよね。
で、エスカレータの(関東でいうと)右側、ビジネスマンが歩く側も、人がまばらです。
エスカレータの左側は、人がびっしり。
勝手に、上に到着するのが早いのが勝ちゲーム、を設定するとすると、階段でいけば、ごぼう抜きで勝てますよ。
歩いても勝てるかもしれない。
エスカレータの右側はところどころ渋滞してる可能性が高い。どこかでとまってしまう。
これがね、地下浅いところからで、上る段数が少ないと人間の行動が変わってきますよね。
階段もけっこう増える。
階段を小走りでかけあがれば、勝てそう。
でも、競争相手が増える。
エスカレータの右側もさくさく進むので、こっちでも勝てるかもしれない。
だからなんなの、っていう話ですが、そういうことです。いろいろビジネスで応用がきく話である、ということは気づいていただけましたでしょうか?