元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

願望実現の手法について

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これ、長すぎなんだけどw この粗削りさがなんか気になる

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えっと確か、願望実現の手法について書いていたと思います。例によって脱線しまくりですがちょっと戻しましょう。

◆おさらいと補足

 願望実現するために大事なことその1は、プロジェクト化することです。PMはもちろん自分です。基本的に独りプロジェクトです(苦笑)。

 SEはプロジェクト化さえすれば、そこから先、遂行していくは得意分野なような気がします。立案は、誰もやってくれないんですよ。仕事を自分でつくって、自分に渡す必要があるのです。

 自分の人生ですから、自分の願望実現というのは優先度はとても高いはずなんです。 なので、自分の人生で3本目の案件を出現させ、かつ優先して進めていくべきだと思います。

 「3本目」とは、まず1本目が家庭、2本目が仕事です、ざっくりいうと。3本目が今書いた、自分の願望実現。

 汎用的なことを書いているので「オレは独身で家族なんていねーよ 1本目はない!」みたいなツッコミはなしで。

 人生、「3本の矢」(?違うか…)で進めていくべきなのに、2本、あるいは1本だけで生きている方が多すぎなんですよね。

 プロジェクト化はしてないけれど、日々の運用はある。自分の願望実現の話ですが…

 日常のWantは毎日発生するじゃないですか。腹へったとか風呂入りたいとかそういうのから始まって。つまりカレンダー化されているTodoと突発のTodoがあり、後者は正常系と異常系(障害対応)に分けられると思います。

 そして前者は日次/週次/四半期/半期/年次… と分けられます。

 このうち突発Todo-正常系が、今書いている「願望実現」の最小単位です。つまり、計画も考えることもなく、”do”すれば実現できるということ。

 でも人生って課題管理、Todo管理だけで済まないんですよね。「すまない」というのは満足感という観点です。

 何か月後(あるいは何年後)にあれをしたい(あるいは「ああなっていたい」)からまずあれしてつぎにこれしてetc… みたいな感じの計画と実践がないと、なんというか人生に「ハリ」がないんですよね(笑)。

 人生の配分を、仕事0.6人月、家庭0.2人月、自分の通常運用0.2人月、に分けているのが一般的なビジネスマンだとすると、それを

 仕事0.4人月、家庭0.3人月、自分プロジェクト0.2人月、自分の通常運用0.1人月、ぐらいに変えていきましょう、ということです。

 でプロジェクト0.2人月もさらに、計画(考える)と実践に

 つまり、常に考える(計画する)ということです。なぜなら、まず、「考える」にはPDCAの”C”(Check)も含みますね。願望というのは常に生まれてくる(生むべき)からです。

 その1「プロジェクト化」がむっちゃ長くなってしまった…

 その2が「小損を取る」に関連するのですが、まあ誤解を恐れずにいってしまえば「人智の及ばないところを『ある程度』コントロールする」ということです。

 ひとつ例を挙げると、その1は、何がしたい!何がほしい!からああする、こうする、というアプローチであるのに対してその2は、その何がしたい何がほしいを決めるというか、あるいは修正(更新、アップデート)するというか…

 日々起こる偶然をウォッチするというか。ここで、以前書いた「ふっと目につくものをスルーせず、一旦意識する」「フックする」がつながってきます。

 実は、みもふたもないことをいうと、自分が人生において実現させたいこと、願望というのはまったく実現できないかもしれない。実現不可能なことに立ち向かって「少し」ムダな時間を浪費しているかもしれないのです。(いやそれも、最終的には役にはたつので「まったく」ムダな時間ではないのですが)

 それを、気づかせてくれ、自分の願望を修正するヒントが、実は日常には転がっていて、それは、偶然を装い、何かヘンな仮面をかぶってあらわれたりする。

 で、これが何かのさじぇすちょんであるということは、自分の意識のけっこう深いところではピーンときているのでこれを「すくいとってあげる」というか。

 その2で、ゴール(願望)がアップデートされると当然、計画修正を余儀なくされますので、自分プロジェクトは日々スタティックではありません。でもそれは、どこのシステム開発/構築プロジェクトも同じですね。

 そしてなるべく自分の工数を使わずに誰かがやってくれる(誰かの工数が消費される)のを待ちます。プロジェクトの末端(特に外注)はそういう人種の集まりですので、誰も拾わないボール(タスク)がどんどん増えてそれが火種になっていきます。

 システム開発、構築というのはなまじっか傍観していても人間の命にはかかわらないので(リアル工事現場とかと違って)、そういう意味でプロジェクトマネージメントの工数だけが膨大にふくれあがっていきます。

 ちょうどボールの話を書いたので野球にたとえると、外野のうしろのほうに玉拾いがたくさんいます。PMとPM補佐がバッテリー、キーマンがレギュラーポジション。

 玉拾いが外注パートナー

願望を「変形」させるというのは、その「願望」というのは、いったいどのような状況になったら「かなった」といえるのだろうか? と、マジメに考えてみることです。それは、いろいろな状況が考えられるのではなかろうか?ということ。プロ野球選手になりたいという願望がいまだにくすぶっているのであれば、それは本当か? と。他のアプローチがあるのではないか?と、考えることです。

 重要なのは”Plan”のフェーズの最初に「夢」を目標へ落とし込むことです。そうしないと何も始まりません。

 でも、夢を実現できない夢として墓場までとっておきたいのか知りませんが、笑ってしまうぐらい、その作業をやらない方が多いんですよね。

 最初の生々しい願望を実現可能な目標に落とし込むことができるのが「オトナ」ですし、そのプロセスが人生そのものなんですよ。

 このプロセスはプライベートでも同じです。というかプライベートこそこのプロセスを強化していかなければなりません。仕事でそれをやっているのであればどんどんブラッシュアップしてプライベートに適用していきましょう。

 これは推測なので間違っていたら指摘してください。iPhoneは、ジョブズの「夢」段階では、このギアはもっともっとスタイリッシュではなかったと思いますよ。はっきりいうと「ダサかった」はず。

 それが、”Plan”を経て目標として落とし込まれ、レビュー、共有され、死人が出るんじゃないかという勢いで開発がなされ、際限なくカイゼンされ、そして現実として結晶した、今まさに我々の眼前にある「これ」は、最初夢見ていたプロトタイプよりもスタイリッシュになっている。つまり、ありていにいえば「良くなっている」。

 iPhoneを夢見たのはたしかにジョブズと一部の取り巻きの手柄かもしれませんが、それをより良きものにしていったのは無名の、別な人間のはずです。

 あとは、時間です。

 夢を目標に落とし込み、そして共有する(「晒す」)というのはこういうメリットもあるんです。

 ふつーに"Plan"すれば、やることはみえてくるので、それを実践するだけです。

 実践するというのに抵抗がある人も、いるのかもしれません。もともと性格というか行動特性がアクティブじゃないというか… 確かにそういう方はいますが、そういう場合どうすればよいか? というと…

 "Plan"の品質を上げるしかないのですよね。つまり、よりTodoを具体的に、サルでもできるレベルまで落とし込まなければなりません。

 「近所の●●スーパーで●●社の●●を買う」とか、そのぐらいまで。

 ジョブズであれば世界中のワーカーを安く働かせることができるので、強行突破なのでしょうが、通常、PDCAにおける”P”で計画を立てるわけですが、「プロ野球選手になるためにどうするか」なんて企画は瞬殺ですよね。

 だって、人生って有限なんですよ? そんなことより、考えるべきこと、実現させるべきこと、優先度の高いことってたくさんあると思いませんか?

 と考えることも”Plan”です。Planの品質が高ければ、その後の人生で莫大な時間を浪費することがなくなります。

 (これも知らないだけですが)ジョブズと同じ時期にiPhoneちっくなギアを夢想したエンジニアは日本にいたのでしょうが、ことごとく”Plan”の段階で却下されていったのでしょう。でもそれは、正しい判断だったのではないでしょうか? 日本の土壌ではそもそもムリですからね。

 さて、ちょうどよいのでプロ野球選手ネタを続けますが、もし仮に、オトナの駄々っ子のごとくプロ野球選手になりたいという願望がくすぶり続けているのだとしたら、それは、実現させるべきことなのかもしれません。それほどの情熱を注げるのであれば。

 ですので、一見荒唐無稽と思われる願望を具体的に分解していくことです。

このたとえにおける分解の過程はすべて省略しますが、そういう願望はすべて「とんねるずのスポーツ王」手法で実現可能です。

 つまり、テレビに影響力のある芸能人になればいいということです。

 プロ野球選手になりたいというのは著名なスター選手と、野球専用のスタジアムで、カクテル光線を浴びながら、対決したいというのと同義なんです。

 だから、プロ野球選手になる必要はなくて、著名な芸能人になり、年一の冠番組を持ち、番組の予算で著名なアスリートと対決すればよいのです。

 そうすれば自尊心も満足できます。

 こういうアプローチもあるのだ、ということです。40代でプロ野球選手になれる可能性は「ゼロ」なので、”Plan”の時点で瞬殺ですが、40代から著名な芸能人になる可能性はゼロではありません。

 可能性が低いのは確かですが、ゼロではなくなったので、そこから死ぬ気で”Plan”を考えていくことです。本気なのであれば。

 さて、まっとうなプロジェクトであれば、”Plan”の過程で著名な芸能人になることも精査(却下)され、おそらく、一生に一度そういった番組の企画に応募して当選して、一般ピープルとして著名な野球選手と対決(ごっこ)をする、という方向性にしていきますね、私ならば。

 そういえば、なんかそういうCMありましたね…

 そのためには、マスコミの公募は当たらないので、いかにマスコミにコネをつくっていくかという”Plan”になっていきます。

 お祈りして当たるのを待つよりも、行動してコネをつくるほうが実現の可能性が上がります。

 オトナの、プロ野球選手になりたいという願望などは分解していけば一生に一度の思い出として、その方が子どもの頃のスター選手とスタジアムで対決さえできれば、それでもう「あがり」です。

 なぜかわかりますか? そういう人は絶対に、アスリートの日々の節制、努力、自己管理、などはこれっぽっちも思い描いていないのです。

 一般ピープルがそんなことをできるわけがないのです。

 夢だけで語っていると、夢の背後にある、それを維持するために「辛さ」からは自動的に目を背けるようになっています。

 何がほしいのか? 何を実現させたいのか? その規模が大きくなればなるほど難易度が高くなるので、”Plan”にかける工数も大きくなります。

 そして、実際のIT業界におけるプロジェクトと同じように、莫大な工数をかけても完遂できない(実現できない)ことも多々ありますよね。

 あるいは”Plan”のフェーズで「今のオレにゃムリだね」とあきらめることもあります。でも、どんな規模であっても、どんなに荒唐無稽であっても、死ぬほど「ほしい!」「実現させたい!」というのであれば、もう少し智恵が出てくるものです。

 ビジネスの成功本は、おおよそそういうストーリーで書かれていますね。あ、あと「プロジェクトX」もそうでした(笑)。

 多くの方が、この”Plan”をナメているというか… ビジネスではやってるのに個人レベルだとなぜかそれを適用せずに、「強く願ったらあとは『宇宙に放射』しておけばいいんです そうすれば実現されますから」みたいな甘い言葉にそそのかされたりするんですよね…不思議なことに。

 言い方を変えると自分の脳みそをナメている、あるいはそのパワーを知らない?

 智恵を「絞り出す」ときに出てくるアウトプットというか、それを現出させる脳のパワーって、すごいんですよ。

 以前、エンジニアライフで健康について書かせていただいていたときも、脳について言及したと思うんですが、極論するとエンジニアが健康でいなければならない理由というのは脳のパフォーマンスを最大にするためなんですよね。

 脳に最大限に働いてもらうために、睡眠時間は削っちゃいけないんです。そして睡眠の質を常に上げるためのカイゼンをしていかなければならないんです。

そして、デスクトップのモニターに向かってぶつぶつ言いながら仕事するだけでなく、「行動」することにより脳はますます活性化するんです。なぜなら、その行動をすることによる結果が必ず脳にフィードバックされるためで、いってみればそれも脳の「栄養分」のようなものなんです。

 その「行動」っていうのはなんでもいいんですが、たとえば有益なディスカッションなんかもそうですよね。

 真夜中に、セブンイレ●ンに売ってるなんとかというお菓子を無性に食べたくなったら、ただ行き、そして買うだけです。

 個人の話にひきつけると、いろんな願望がありますよね。甘いものが食べたい、Just now!みたいなのから、もっと荒唐無稽な、不労所得を得て南の島で暮らしたい、みたいな?

 そういうのって、ぜんぶ、箇条書きにしてリストアップすると、横一列に並ぶんですよ。

プライベートの質を上げる

stevengerrard.hatenablog.com

プライベートの「質」をあげようとしか考えてなかったかもしんない。
ここ10年ぐらいは。

関係ないけど、ちょうどブログ始めて10年ぐらい。シンクロするかな?

「質を上げる」ってのはね、たぶん、リア充ってわけじゃないんだ。いや結果的にそうなるんならいいんだけどね。

何度も書いてるように、いかにして「生活習慣」の質と量を高めるかっていう。

「量」もなんだよ。生活習慣の「質」を高めるのは当然の話で。

良質なルーティンであるとオレが判断したら、どんどん増やす。1日10分以内ぐらいでしょ、増やすっつったって。増やすどころか、増やしまくる。
つまり、まずやってみる。
やってみて取捨選択する。

そうするとどうなるか。。これは、オレの紛れもない体験談だけど、
生活に「面白み」が出てくるんだわ。

ふつう逆だと思うでしょう?ルーティンを増やしていったら、生活がつまんなくなるって思うじゃない、なんとなく。でも違うんだな!(ここ大事)
この感覚は、やってみないと、わからんよ。

まぁひとつのソリューションとしてはね、趣味をルーティンにいれる。これ、大事。

わかりやすいたとえでいえばゴルフが趣味な人は、週一で打ちっぱなしをルーティンにいれてしまう!
それがキツいのであれば隔週か、たとえば第二第四日曜とかね。
とにかくルーティンにする!

楽しみなルーティンをつくり、最優先にするということ。
ほら、生活に「面白み」が出るでしょう。

趣味は最優先でルーティン化しないとだめだよ。

スポーツだったら試合、ゴルフだったらラウンドとかも、隔月でルーティン化したほうがいい、ゼッタイに!
気が向いたら、じゃダメなんだよ。

バカなヤツは、プライベートまで縛られたくないとかホザくんだろうが。。そういうバカはほうっておいて、次のステージにいこうぜ!ということなんだ。

楽しいことを生活習慣に組み込んで何が悪いか、と。


そしてルーティンはますます増やしつつ、カイゼンをする。そして、どうしても「合わない」と体の奥の「感じ」がいっているのであればそれに従い、切る。

切って切ってきりまくってもいいけど、かたほうでは増やして増やして増やしまくる。

ほら、体の細胞だっけ? 実はけっこう入れ替わってるとかいうじゃん。それと同じ。

オレのルーティンも10年前と比べたら変わったのなんの。。
だがしかし!1日24時間のうちルーティンに割く時間は間違いなく増えている。2倍ぐらいにはなっているだろう。
ルーティンが2倍になってオレの人生単調になったか? まったく!なっていない。2倍豊かになっている。そういうことなんだよ。

2倍豊かになったとはすなわち。。なんつったらいいのかなこう、「何者かになった」っていうことなんだよね。

ルーティンだけでほぼほぼ満足

ameblo.jp

俺、ルーティンだけでほぼほぼ人生満足だなあ。なんとなくこのまま老いていってもかまわないというか。

 

だってこの精度の高いルーティンの中に、喜怒哀楽のうちの喜・楽が入っちゃってるからなあ。

他の人たちってルーティンにこれらを入れ込んでないんだろうな。意識もしないだろうし。

 

ルーティンやる度に「怒」を意図的に発生させるバカが多いんだろう。なんでこんなことやらなきゃならないんだ!とか。

 

修行的につっまんねールーティンを自分に課しているのか、あるいはやらされているのか。

 

俺も自分のルーティンをやりながら怒りを感じる人生はイヤだけど、ちゃんと、取捨選択してきたからねえ。

 

俺のルーティンに怒・哀はいれてないけど(あたりまえ)、ほっといてもあっちからやってくんだから。

 

 

 

結論:日常である程度の満足感、幸福感を感じられない人間ってホント不幸だよね。

 

(略)

あ。。書いててわかったぞ。

キーワードは「アドヴェンチャー」からの「ワクワク感」なんだな。

 

俺の場合ルーティンに「アドヴェンチャー」までいれちゃってんのよ。

ルーティンにいれることって、可能なんだよ。

 

そしてルーティンにいれときゃ定期的にアドヴェンチャーがやってくるじゃない。

定期的にワクワク感がやってくることが約束されている。

そんな楽しい人生ってないよな(笑)

けっこうマジメなドラゴンボール論

stevengerrard.hatenablog.com

「無関心」ってのは、ドラゴンボールの重要なテーマだったような気がしてるのね。
オトナになって思うと、ね。。
鳥山明先生がそれを意識していたかどうかは、わからんけども。

悟空とかさ、強いヤツらは、結局のところモチベーションって「自分より強いヤツがあらわれるとワクワクする」っていうそれだけでしょ。
ところがね、相手が強くなればなるほど、地球を破壊するぐらいのパワーを持つようになり(もちろん悟空とか善玉のほうも同様に)、結果的に地球を守る戦いになっていくという。。

どんどん強くなるっていうのは、もともとは悟空とかの自己マンだったはずなのに、最終的には「みんな!オラに元気を分けてくれ!」っていう、アニメ界だけでなく一般化されたセリフにつながっていくわけ。

みーんな、無関心なわけでしょ。悪玉のヤツがふっと息を吹きかけただけで地球がふっとぶぐらいの(比喩ね)危機的状況で、今まさに悟空たちが動機はどうあれ、「大好きな」地球が破壊されないように戦っているさなかにも「街」は無関心。湾岸戦争をテレビで見てるような状況ね。

警告はすでに何回もなされているはずなのね。庶民に対して。善玉たちからしたら庶民に文句たらたらなわけ。「なんでこの危機的状況に気づかないんだ?」と。

ところが!いざ現実が眼前に迫ると。。たとえば、これもたとえだけどちょっと流れ弾が街に落ちてきて、警察も軍もまったくたよりになりましぇーん、となったときに、庶民はやっと気づいて、気づくならまだしも、悟空たちスーパーマンに対して文句たらたらなわけ。

「なんとかしろよオマエ!助けろよ!もともとはオマエらが悪いんだろ?」と、キレる。悟空たちは庶民に毒づかれるわけ。こうなったのもぜんぶオマエらのせいだ、と。

完全無関心からいきなり(ある種の)熱狂へ。


「元気をわけてくれ」の話で、「街」にまだまったく被害がなくて、戦いをテレビでみながらポテトチップ食べてるような状況のときには、だれも元気をわけてくれない。

でも、街が危機的状況になっていてもほとんどの庶民はいまだ無関心で、それどころかなんでオレの元気をオマエにわけなきゃいかんのだ、と。オマエらのまいた種はオマエらで刈り取れ、と。それが庶民のスタンス。

結局庶民ってそういうもんなんだよ。

重要。身体を騙す

stevengerrard.hatenablog.com

急いでいるときほどふわっとナイスアイディアがうかぶ。ヒマしてるときはうかばない。と油断していると眠りに落ちそうなときに浮かんだりする。

つまりえてしてメモをとれないときにアイディアが浮かぶというのは多くの人が経験しているのだろう。

で、それに対するオレの対策は、体をだます(笑)。

つまり、本当は30分ぐらい余裕があるのにせかせかと準備したり速足で歩いたりする。ふわっとアイディアがうかび、なんだよこんな急いでるときに!と一瞬思うのだが実は数分立ち止まったところでまったく間に合う。

という意味でも時間に余裕を持った行動は必要やね。

時間に余裕を持つというのは鉄板の成功法則なのだがその理由はこんなところにある(ちがうかw)

1分!

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オレの成功法則でもあり、幸せになる法則でもあるのだが・・(確信してる)

「あちゃー、見つけちゃったよ。。」っていうときに1分! そのことに時間を使えるかっていうこと。

1分しかないんだから考えてる時間なんてほぼないわけ。
そして「それ」は間違いなく、自分が忙しいときにやってくる。(物理的に忙しい/精神的に忙しいどちらも)

具体的にいうと、オレの生活のたとえでいえば、出かけようとしたときにふと、とある隅っこに汚れを見つける。。とか。
家具?とかが軽く納得のいかない配置になっていることを発見するとか。。
(他にもいい例がありそうだが今思いつかない)

別にそれをスルーしても死にやしない。それに、世間一般にいえば、たとえば朝急いでいるのだとしたら、それをやるよりも遅刻しないように出かけるほうが、大事なのかもしれない。

でも、やるんだよ! なぜなら、それは必ず、何かしらの「お告げ」なんだから。

あ、アイディアなんか顕著な例だね。これはこれで、別カテゴリだけどさ。
良きアイディアはメモ帳を持っていない/メモをとれない状況のときにやってきて、ふっと消えていく、ってやつ。

重要な電話も忙しいときにかかってきたりするよな。


そういうのが起こると今は「あちゃー」「しょーがねーな」っていうことで、そっこーぞうきんをぬらして、そそくさとふいたりする。それで終了。それだけでいい。

「着手」だけでいいの!完遂させなくてもいい。ここが、ポイント!
メモの例でいえば、多くの人がやってると思うけど、アイディアのさわりというか「アンカー」(そのキーワードで芋づる式に思い出せる)、あるいは書けるのであればまとめだけそそくさと書いておく。

そうすると8割以上の確率で、読み返したときに思い出せる。思い出せないならば、仕方がないのです。着手しただけで十分なのだから。また間違いなく別な機会に思い出せるから。

急いでいたとしても、1分であれば九分九厘、遅刻はしない。間に合うようになっている。

掃除の例でいうと、ささっとふいて着手して、どうなるかというとどうもならない。ひとついえるのは、もはや「そこ」は気にならなくなる。それで十分なのかもしれない。

1回、どうしてもスルーせざるを得なくとも、もういっかいはくる。ほとんどの場合。もう1,2回きて、そこで終わる
掃除の例でいうと、ささっとふいて、気付かなくなるのと、何かの「お告げ」が、何回か「気づけよ!」とそれを現前させてくれているのにガン無視して、結果「お告げ」様が、けっもういいよ、せっかく目立つようにしてやってんのによ、こいつはもうダメぽ。と気付かなくさせるのとでは、雲泥の差があるのだ。

この1分!が自分への投資なんだよ。その積み重ねなの。

で、オレは、この1分を最優先で使おう!と決心してからかーなーり人生好転し始めた。
でもオレの成功なんて、大成功じゃないけどね。庶民の幸せ、の継続、っていうこと。

それを強く望む人は、やってみるといいよ。
もっと大きな成功を望む人には参考にならないかもしれないし、なるかもしれない。
大きな成功の最初のステップとして有益かもしれない。

村上春樹さんの本を読んで痛快だった話。

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自分は長編を、書きたくなったら書く、と。
誰にオーダーされるわけでもない。

長編を書く準備からひと段落して編集者を呼ぶまで、基本的に他の仕事はしない。受けない。
翻訳は例外。翻訳はまったく脳の別なところを使うので支障なし。

ただしその翻訳の仕事は締切がないことが前提。

長編を書くときでも1日10枚と決めている。筆が乗っているときもそう。乗らないときも10枚までは搾り出すと。

という話の流れで、ところで同業者の方からは、その間の生活をどうすんだ、いろいろ仕事受けていかないと生活できないだろ、という意見があるかもしれませんが。。。という話になり。
確かにそれは俺も気になるところだが。。

でそれに対する回答がね。


自分、職業小説家になると決めてからずっとそうですけどぉ?と。
つまり(そう書いてはいないが)それが小説家としてのありかたでしょう、と。

ノルウェイの森が売れたから、カネが潤沢に手に入るようになったから、そういうふうに好きなことしてられんだろ、と言われるらしいのだが、売れる前からそうしてましたよー、貯金切り崩してましたけどそれが当然だと思ってましたから、と。

職業小説家として。

で、周りがうぜえから、日本にいるといろいろ仕事頼まれたり面倒だから、長編は海外で書くことがほとんどです、海外は仕事はかどりますよー、と。
でそれもノルウェイの森が売れる前からそうしてますよーと。


。。この話、痛快だと思いませんか。
とにかく、覚悟が違う。カンゼンに退路を立って勝負をかけている。しかも、ある程度の勝算ありーの。

リスクをとって、大魚を釣り上げたってことだよ。
で、「職業小説家」として生きていくイコールそのリスクをとるのが当然だと思ってたってところが、大物なんだよね。。

長編(自分のいちばんの得意分野、差別化できるフィールド)に限っては、誰からもオーダーをうけず、やりたくなったらやる、と。
でそれが必ず何百万部売れる「仕組み」になってるんだからこの国の村上春樹さんを取り巻く状況ってのは、すごいね。