元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

政治家を選ぶ理由

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昔ね、西部邁さんの言説に目ウロコだったことがあって。

たとえばウチの親なんか、政治家を選ぶのにね、たとえばウチの前の道路を整備してくれたから、だの、市会議員だったら隣のドブをコンクリにしてくれただの。。

応援するのってそういう人なのね。つまり庶民のワガママを聞いてくれる人。以上。みたいな。

いやね、ウチの親だけじゃないと思うんだ。田舎の年寄りなんてみんなそうだから。

でもさ、なんつーか、実生活においては自分にメリットを(タダで)くれる人間を求めつつも、ホントはそうじゃないだろう、と。
ホントはさ、「器の大きい人間」を求めているはずだし、求めるべきなんだよね。

もっというと、器の大きい人間が、集まったら何を決めるんだろう?みたいなワクワク感っていうの?
そういう人間たちが集まって決めたことには、従おうか、みたいな。

でオレは必ずサッカーのトレセンの話を持ち出すのだが、サッカーはちゃんと制度ができてるわけ。日本の津々浦々からウマいヤツをみつけてくる制度がね。

そういう制度で見つけられた人間が集まって、今のサッカー日本代表はあるんだろうし。やっぱ代表の試合ってワクワクするじゃない。選ばれしヤツらがどういう「ハーモニー」を奏でてくれるんだ、みたいなさ。

そういう選抜制度が、政治家にも絶対に必要なんだよね。

オレがオレがの自薦がウザい

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リーダシップ教育とかさ、帝王学的なものとかさ、そういうの、大賛成なのね。
日本はもう悪平等の時代は終わりにして、次のフェーズに移るべきだと思ってるから。

でもね、リーダシップ教育を施す相手は、自薦じゃなくてゼッタイ他薦にすべきといっている。

自薦だと、松下政経塾みたいになっちゃうのよ。つまり、器がちっちゃいヤツらの集まりね。
なんだかさ、人生政治家になって大逆転してやる、みたいな野望が透けてみえるからイヤなんだよ。
「ちっちゃい」クセにさ。

だから、サッカーのセレクションを参考にしたらいいといっている。
ていうかなぜそういうことをしないんだろ?

各学校には必ずリーダシップの素養があるヤツがいる。そういうヤツをセレクションで集めて、合宿するわけ。
もちろん国費でな。すべて無料で。

でね、それをピラミッド型にするんだよ。地区選抜から県選抜、そこで選ばれたヤツは関東選抜、そこで選ばれたヤツは全国選抜、というふうに。


おおよそ知られていることだが、リーダになる素質をもったヤツってのは、必ずしも勉強ができるとは限らない。
だが、アタマがいい必要はある。たとえば、強い部活のキャプテンとかだよな。

セレクションのポイントは一点、なんとなーく「アイツの言うことは聞こうか」「アイツがそういうんなら、ついていこうか」と思わせる、そういう人材を、集めてくること。
ざっくり言えば、委員長タイプ、(スポーツの部活の)キャプテンタイプ、それとガキ大将タイプだわね。

だからその街の不良グループのトップやってるヤツなんかも、じっくり観察して、スカウトする。性根腐ってるか否かを冷静に確認する。(不良は、本当にタチの悪い不良と、そうでない見込み(「男気」)のある不良がいるので)

口よりも先に手が出てしまうようなヤツは、徹底的にディベートを教え込む。そしてスポーツで発散させる。

そういうヤツらが将来的に、代議士になるか、外交官になるか、防衛大を出て自衛隊に入るか。。適材適所。
なるべき人材がそういうところに入っていくようになれば、日本は明るい。

年収、生涯賃金は限られている

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限られた年収でいかに満足感、達成感

、幸福感をゲットしてゆくか、なんだよ。

 

自分の年収から自分の器を知りなさい。自分の胸に手を当てて、本当に、自分の年収は自分の器にあってない、と思えるんだったらまず誠意をもって働きなさいよ。もっともっと。

自分のまわりをカイゼンしていきなさいよ。そうすりゃだんだんと自分の「器」自己申告に近い年収になっていくだろ。

 

 

ところで「ないものねだり」っていうのはね、満足感達成感幸福感をすべて!

根こそぎもっていくから、サイテーの感情だっていうこと。

 

だからね、まず、いろんなところでいわれてるけど、まずは今の生活で(ある程度)満足である、幸せである、と思い込むことだ。

 

達成感はね、ある意味簡単っつーか、ちょっとだけ背伸びや努力すりゃ実現できそうな目標をおいて、実際に実現させていく。それの積み重ねでいいのよ。

 

という意味では満足感幸福感と達成感っていうのは両輪だな。どっちかが調子いいと、両輪が自然とまわってくよ。

「新庶民」

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もともと自分で8割方できる、ていう状態でたとえばね、家事代行サービスに頼むとか。
そういうのが真のリッチなわけ。

もともとグータラなヤツがなんかしらんがゼニが入ってきちゃって、めんどくせーもんだから身の回りのことぜんぶ「やらす」。
これが成金。
成金だけに凋落も早い。だって身の回りのこと自分でやらない(イコールできない)んだから当然じゃん。

こういうヤツってカネのあるときに美人と結婚したりするんだけど、美人にも身の回りのこと「やらす」感覚でいるからすぐ離婚。
美人はプライドたっけーんだから気をつけな。

でも、成金はしっかりした奥さんをもらうことはできない。


あ、これが本題じゃなくてね。。
で、オレなぞは真のリッチでも成金でもない。

そしてもともとグータラではない。

自分のことは粛々と自分でやり、そしてこれからもやり続ける。

自分でやるから、そんなにカネもかからない。そしてなんていうか。。「人生のスキル」っていうの?
自分でやるという覚悟により人生のスキルが上がるような気がしてならない。

こういう人間を、昔自分のブログで「新庶民」と表現した。

「覚悟」を持っている人間は、もはや庶民ではない。

サイアクなケースは
あー、メイド雇いたいなあ、でもカネねえしなあ、と思いながらも一切!行動にうつさず、
常に部屋がキタナいのが「下層」。

俺は下層にだけはなりたくないし、自分の子どもにもなってほしくはない。
なんか文句いったりしてる間に少しでも片付けりゃいいんだよ。

小損を取る」(14) 実践編その4:電車に乗ったとたん小走り(反面教師)

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http://el.jibun.atmarkit.co.jp/infra/2016/04/14-bd0e.html 

 「小得」をがっつり取りにいく行動のうちもっともわかりやすいのが、まだお年寄りともいえなそうな妙齢の男女が、電車に乗り込んだ途端目の色を変えて一人分だけ空いてるスペースに向かって小走りする光景…

 60歳前後でしょうかねぇ…

 小走りできるということは、足腰は丈夫な証拠ですな(笑)。

 席をゲットぉ!した後は、お尻をぎゅー!ぎゅー!と割り込ませ、両隣を物理的心理的に威嚇しながら(苦笑)座ります。

 これが女性複数人になるとさぁ大変。一人が特攻隊として目の色変えてまず座り、バッグをどかっと隣において席取り。「ここ!座れる!」と電車の中で大声。

 映画館ですかここは(苦笑)。

 そして照れ隠しなのかわかりませんが席を取った後「ふふっ」と謎の微笑み。なぜそこで笑う?

 それで静かにしてくれれば別にかまわないのですが…やけに通る声で、降りるまでエンドレストーク。しかもその内容がほとんどグチ、文句のオンパレード。

 対象は旦那、子供、嫁、ご近所、政治家、タレント、最近のニュースetcなんでもござれ。

 電車に乗ってる時間の最初から最後まで、よくもまあ会話をネガティブなネタだけで埋め尽くさせられるもんだなぁ、と。 

 で、聞いてると、実は会話が成立していないことが多い。つまり、言葉のキャッチボールじゃないんです。双方が勝手に好きなことをしゃべり合ってるだけ。

 ちなみに私、盗み聞きしてるわけじゃありませんよ(笑)。声が大きいので聞こえてきてしまうのです。

 で、何を言いたいのかというと、こういった「電車で小走り」な方々は例外なく

  • しかめっつらで不機嫌そう
  • 文句ばっかり

 なので、幸せそうにはみえません。

 みえないどころか、実際幸せではないのでしょうし、残念ながら死ぬまでずっとそうなのだと思います。

 私は通勤や移動の電車、バスで20年ほどフィールド・ワークした結果として(笑)、がつがつと「小得」をとりにいくクセのある人間は幸せにはなれない、と結論づけました。

 日々小さな「得」をがつがつと取っているにもかかわらずなぜ彼らは常に不機嫌なのか?なぜ周りの人たちあるいは世の中に対して文句ばっかり言ってるのだろうか?

 その理由のひとつめは、何度も書いているとおりで世の中バランスなのですから、日常のいたるところで小得をとりにいけばどこかでがつんと「損」がやってきます。

 そしてそういう方々は、その損の経験を誰かれかまわずしゃべり倒してストレス発散するわけですが、しゃべっているうちにその損の記憶が強烈に刻み込まれてしまい、日々ゲットしているはずの「小得」のほうはすっかり忘れてしまいます。

 自分でも気づかぬうちに行っている自己洗脳です。しかも日々続けている(悪しき生活習慣)ためにどんどん洗脳が強化されていくという… コワいですね~

 こういうヒトたちは常時軽く不機嫌な表情で固定されます。一瞬笑ってもすぐに元に戻ります。まぁ仮面のようなものですね。そして周りには同じような仮面をかぶった仲間が集まっているので、不機嫌が常態になっている状況がおかしいとは思わなくなります。

 仲間がいて、傷のなめ合いをしているので、たぶん不機嫌であってもそれなりに居心地がよいのです。

 ここ数年の私の人生は真逆で、私は日常でルーティンとして取りにいっている小損は完全に忘却してしまいますが、そのおかげでたまに発生する小得を忘れてしまうことなく、じんわりと幸福感を得ることができます。

 私の場合、まだ修行が足りないのか(笑)常に笑顔でいることなどできませんが、不機嫌の仮面はつけておらず(つける必要がなくなった)常にすましています。ですので、不機嫌の仮面をかぶった人たちは周りにうろうろしていますが、私を警戒しているのか(苦笑)寄ってくることは少なくなりました。

 まわりにどんなタイプの人間が集まっているか、は人生を決定的に左右しますからね…

 もうひとつの理由は、他人を差し置いてまず自分が(得を)、というスタンスの人はそりゃ幸せにはならんでしょっていう…

 ふつうに考えればそうだよねー、と。

 とある行為をすることにより自分にも小得があり、まわりも得する(あるいは具体的な得がなくとも嬉しくなっちゃうとかほっこりするとか)であれば、よいのです。

 でも自分は得をする、結果他人は軽く損をする、という行為を、というか、その行為を行っている自分を、肯定しちゃダメなんだと思いますね。

 ちなみに、この高度資本主義社会のなれの果ての国、日本限定の話ですけどね。他の国ではどうかわかりません。日本以外住んだことないので…

 他人を蹴落としていかないと生命の危険にさらされるような、優しさなぞ微塵も通用しないような国や地域もあるのでしょう。あー日本でよかった(笑)。

 心の中で、そういうふうに「自分だけが得したい!」とか「周りを蹴落としてやる!」とか考えるのは別にかまわないと思うのです。心というのは自分の中の「解放区」なわけですから、解放区で善人ぶってなんていられないじゃないですか。

 そこで日常的に部下や上司や姑や伴侶までも殺している方もいるでしょうし(苦笑)。それに比べたら「自分だけ得したい!」なんていう欲求はカワいいものです。

 問題なのは実際そういう行動をしちゃっている方、ということですね。

 昔ならばお年寄りにカテゴライズされてもよさげな年齢層の方々が未だ健脚である、という事実は、世の中的には素晴らしいことであり、電車を利用する人たちの中には、「小走り」もできないたとえばもっともっとお年寄りの方とか、小さい子供とか、子連れのママさんとか、妊婦さんとか、足が悪い方とか…たくさんいますよね。

 あるいはたまたまそのときに、ちょっと体調悪いな…電車座れるといいんだけど…と考えながら乗ってくる方もいるはずです。年齢は関係なく。

 つまり、席に座るべきかどうかってのは早い者勝ちじゃないでしょう、と。もっとも「足の遅い」ヒトたちこそが、優先して座るべきなんじゃないでしょうか。

 なーんてことは、当然、私より年輩の方々は、言わなくともわかっているもんだと思っていたのですが、どうやらそうではないらしい、と… 残念。

 小得をがめつく取りにいったところでまったく幸せになれないのであれば、逆に小損を取っていったほうがよい、というのは私の経験則です。発想の転換ですね。

 そしてそれはかなりうまくいっている自負があります。

 幸せになれますよ、と断言することは決してできませんが、可能性は段違いに上がりますよ、と。

 小得をとりにいくクセのある方は、あわせて小損はとらない(とれない)。なぜなら、その瞬間瞬間の損得勘定で動いているからです。「小損」はすべて拒否してるから、取れるわけがない。

 実は私も同じ(損得勘定で動く)なのですが、私の場合はできる限り「ちょっと損」のほうを意識して選ぶようにしています。

生まれ変わりを信じるか。

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生まれ変わりを信じるか?といったら、オレはどっちかっていうと信じるほうだ。

 

ただし!生まれ変わり云々という考え方には、時間の概念がない(と、オレは考える)。

 

たとえばオレが死んだら、100年後のアメリカに生れ落ちる、という可能性もゼロではない(すべての可能性は、ひらかれている)。けども、生まれ変わりのプロセスっていうのは、時間が一方向に、過去から未来へと流れているわけではない。

だから、オレが次に1億年前の微生物に生まれ変わる可能性も同じようにゼロではない。

カゲロウ?だかに生まれ変わって2時間後には死んでしまうのかもしれないが、カゲロウのオレはその人生を2時間(短い)とは思わないのだ。なぜなら、所与だから。その2時間を何も考えず精一杯生きるのだろう。

 

一旦死ぬとするじゃん? で、次の生物(あるいは別な何か)に生れ落ちるまでの空白の期間に時間の概念がないわけよ。

 

ただし、ゼッタイに間違いないのは、同時代のこの地球に生まれ変わることはない。オレのたましいは、同じ瞬間に共存することはない。

でもそれはなんとなくわかるっしょ。それは、ありえないことだから。

 

地球外生物に生まれ変わる可能性があるのか、ないのか、そのあたりはようわからんが、あるような気もするな。

 

 

オレの「総生まれ変わり」(人間とは限らないから「人生」という言葉もつかえないのだが)の中で、「前」と「後」という概念は、あるのよ。次は人間、次はカゲロウ、次は恐竜、みたいなさ。

でも時間の概念はない。まあこのあたりは突っ込まれてもしどろもどろになっちゃうから、このへんにしておく。

 

でね、やっと本題なんだけど、今!まさにオレは人間なわけだが、オレの「総生まれ変わり」のなかでたぶんこの人間でいられる数十年が「最強」なんだろうな、って気はしてるのね。

 

そもそも何回人間でいられるかわからんし、次の人間のときはアフリカの奴隷かもしれんし。女性に生まれて、年頃になったらあっという間にドナドナされて売られちゃうかもしれないじゃん。

でも今、そういうことは一切ない。

 

この時代の!平和な日本に生まれ、育っているということ。このすばらしさ。

戦争も銃撃戦もない。

衣食住が足りていて、ちょっとしたぜいたくもできている。

 

このオレの全盛期、最強の時代をね、よりよくしていこうと考えるのは、ものすごくふつーの考えではないかい?

と、思うんだけどな。

今が、大大大チャンスなんだよ。「上り詰める」、ね。

 

周りの人たちは、こういう考えにならんのかねえ。

夢→即実行フェーズ

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夢ってさ、即実行だよね?

即、一歩めを踏み出せっつってんじゃないのよ。その夢がアツいうちに即「計画フェーズ」に入れといっている。

仕事だと、やるのに。。なぜプライベートだとやらんのよ。

最初は居酒屋の与太話でもいいんだよ。いいね!やろうよ!となったら、そこで終わるなよって。
翌日酒が抜けても、いいアイディアだなあと思ったら即計画しろよって。

あのさー、その計画ってさ、別に頓挫したっていいんだよ? とにかく数打てよって話。
どーせ頓挫しちゃうからっつって、計画をしぶってるわけ? アホだわね。

まず計画を立てるという第一歩を踏み出すと人生変わるんだよ。逆いうと妄想段階のままではなーんも変わらんよ。

計画を立てるクセがつくと計画が上手になって、いずれ実現されるさ。マジメな話。