元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

瞑想とは無を食らふこと

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いつもうっすら思ってることなんだが

「瞑想」ってのはね、いってみれば「無を食らふ」ことなんだよね。

いわゆる「心」にとっては、たとえばヒーリングの音楽とか?そういう「やさ

しめ」の情報をいれるよりも、実は「無」ってのがもっとも栄養であるという

。。

 

っていうのはリアル社会の「食」にも応用できるんじゃないかな、ってね。

 

カンタンにいうと食べないこと(すなわち「無」)がもっとも肉体にとって重

要な栄養たりうるのでは?っていう。

 

いやくだらない反論受けたくないから最初から書くけど生物は何かしら食べな

きゃ生きていけないっていうのはわかりきったことなんだよ。

 

瞑想だってずっと「無」を食らっていたら心は気が狂っちゃうと思わない? 同

じ同じ。

だから「たまには」ってこと。あまりにレベルの違う栄養価であるがためにた

まにしか食らうことができないというw

 

快適に?生きていくためには適度なノイズも必要で、それと同じぐらい適度な

「無」も必要だっていうこと。

食も同じ。適度な、実はおいしくてたまらないジャンクフードも21世紀はゼッ

タイに必要で、それと同じぐらいデトックスも必要だってことだ。

 

ノイズだけに囲まれても人間気が狂っちゃうし、無だけでも同じ。

ジャンクフードとか飽食が延々と続いても人間は病気になっちゃうし、ぶくぶ

く太ってダメ人間になっちゃうし、でも何も食べないとやせ細って死んじゃう

 

(よくある?)労働と仕事論

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仕事を仕事と思わないほうが収入も上がり、幸せになっていくというのは、逆説的ではあるが「一面の」真理ではあるな。

そもそもオレの持論として、心理的あるいは肉体的な苦痛が「継続的恒常的」に続く「労働」が仕事だとはどうしても思えないんだよな。

それでカネもらえるって当たり前っていうか、身体のメンテナンス代?それって補償でしょ単なる。

「原価割れ状態」って感じ?身体がダメージ受けてんだからカネもらったってちっともうれしくねーっつーか感謝すらしたくねーっていう。

ただし!苦痛を「瞬間的に」伴うのはアタリマエ。仕事なんだから。

恵まれてるなあ

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オレは恵まれてるなあ、幸せだなあ、と思うポイント。

 

生きているとオレ個人的にムカつくこともあるし、足の小指を椅子にぶつけて

悶絶することもある。子供が、何回いっても言うことをきかなくて、呆れてし

まうこともある。

 

まぁいろんなことが起こる。それほど「よくない」方面のね。

 

で、オレは人生プラマイゼロという考え方だから、マイナスは当然のように押

し寄せてくる。そのマイナスの事象がね、肉体的に生命の危機に瀕するとか、

そこまでのヤバいことは、オレはまったくない。(以前はあったけどね)

 

「幸せ」のポイントはそこだと思う。

 

 

オレは若干マゾっけがあるらしいので、プチ嫌な予感がする場合、あえてそっ

ちに突っ込んでゆくことがあるのね。

「プチ」嫌な予感だから、何かあっても大したことは起こらんだろう、と。

 

まぁたとえば外に食べにいくときとかね。のれんをくぐる前に嫌な予感がする

ことは多々ある。

 

当然、嫌なことは起こることがあるよね。起こらないこともあるけどね。

 

で、嫌なことが起こったときに「ラッキー!」と思えるかどうか、なんだよ。

嫌な予感がしたがそのまま突っ込んだときに何も起こらなくて「ちっ」と思え

るかどうか。

 

 

なぜラッキーか? それは、世の中プラマイゼロなんだから、嫌なことが起こ

ったら必ず未来に良いことが起こると約束されるから。

 

嫌な予感がしても何も起こらないときは、運をつかってしまっている。後日必

ず何か「プチ」よくないことが起こる。それは、約束されてしまっている。

 

 

マイナスな経験は、自分の範疇でなんとかおさめられるうちは、貪欲にゲット

してゆく必要がある。これは、MUSTなんだよ。

 

 

オレが今、絵に書いたような中流の家庭を維持できている「秘訣」は、ここに

ある。オレは家族の預かり知らぬところでどんどんマイナスをゲットしている

プラスは、あまり目立たぬところに立ち現れる。それは、「家族がふつうに暮

らしてゆける」ということ。

 

これこそが、ものすごいプラスであるということに気付く、というのも秘訣か

な。

計画にもとづいた行動、ではなくとも。

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一日一日をね、流されずに、主体的に、「こういう目的で、こうする」ってい

う習慣を、やる。

これを、続けてると、ホント、すごい力になる。

絶対的に力になる、のみならず、相対的には、流されて生きているヤツらはど

んどん「沈んで」いくから、差はつくばかり。

「ちゃんとやってる」人たち、安心していいんだよ。世の中ってね、みずから

主体的に「流される」を選び、主体的に「沈んで」いく人ばっかりなんだから

それが、8割ぐらい。

 

でね、もう一方で、どっかの大社長が書いてたとおり、何かを実現する日を、

自分の未来スケジュール帳に書きます、と。

そうするといきなりケツが決まるから、そこから自然とやることが決まってく

る、っていう話が、ある。

未来に何かの実現をセットした瞬間にね、今、今日やるべきことが決まってく

るんだ。

それは、その理論に対してはひれ伏すしかないというか。。ま、正しいよ。

でもね、若干の違和感は常に感じていた。つーかほとんどのビジネスマンは感

じるっしょ。

 

こっから重要なこと書くよ、たぶん。

何を実現するか、いつ実現するか、というのは、それを書ける人は選ばれた人

だよ。選ばれた人は、ガンガンスケジューリングして、ガンガン未来に向けて

進んでいけばよい。

凡人はどうするかっていうとね、最初の話に戻るんだけど、何か良き習慣を、

強い意志でもって、ひとつかふたつ、始める。軽いものを。

習慣をいきなりたくさん始めるのはムリだし、重い習慣もムリ。何もしてない

ヤツがいきなり毎朝10キロのランニングなんてムリだろ?

できるところから、はじめる。いや、違うな。確実にできることを、始める。

確実にやるためには、少しだけワクワクすること、楽しそうなことを、始める

条件は、ひとつだけ。その始めようとしていることは、世の中の大部分の人が

「良い習慣であろう」と思っているであろうこと。

ジョッグもウオーキングももちろんOK。あとなんだっけ。早起きとか? 掃除

とか? いいね、そういうのも。

そうするとどうなるか? 強い意志でもってとある習慣を始めた時点で、「勝

手に」、バーチャルなアナタの未来スケジュール帳に何かしらの「実現」がセ

ットされるわけさ。

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自分が始めようとしている、あるいは始めている生活習慣でもって、未来のと

ある日に、とある「実現」がセットされるわけ。

と、考えると。。ごく普通の人であれば、「いつ」「何が」実現できるかを、

コントロールしたいと思うよね。

コントロールは、どうやら、できる人がいるらしい。それは、昨日書いた。未

来に実現したいことをプロット「できる」人。

でも、残念ながら9割以上の凡人は、できないんだ。

 

でもね、アナタが始めようとしている生活習慣というのは、これも昨日書いた

けど、間違いなく「良い」生活習慣なのであるから、ということは、未来に実

現される「こと」もいいことに決まってんのよ。

だから、それを楽しみに待ってればいいんじゃないの? ということ。

凡人が何かを始めるってのはね、そういう楽しみがあるんだよ。自分はどうな

っていくんだろう? っていうワクワク感。

もちろんね、劇的には変わらないけどね。それはまあ、凡人は凡人の域を出な

いから。でもね、凡人なりに「幸せ」になることはできるんだよ。

 

あともうひとつのアプローチとして。

さっき、未来のコントロールはなかなか難しいと書いたんだけど、じゃあ、た

とえば、明日からジョグを3キロと決めて始める人と10キロやる人とでは、

未来は違うよね?

間違いなく。

と考えれば、そっち方面でのコントロールはアリだと思いでしょ。つまり、今

、自分がやるべきことの負荷をちょっと上げる。ありていにいえば、今つらい

思いをして未来のごほうびをどでかいのをゲットしよう、と。

「いつ」「何が」実現されるかはわからないけれど、今頑張れば、その何かは

どでかいものになる可能性が高まる。

それは、正しい。のだが!

残念ながらそういうコントロールは、できないんだ。

---------------

今、自分がやるべきことの負荷をちょっと上げて、今つらい思いをして未来の

ごほうびをどでかいのをゲットしよう、と。

そのアプローチはね、ダメなんだよ。つーか若干、アマいんだよね。

なぜならば、今の自分の器以上の生活習慣は、絶対に、ゼッタイに続かないか

ら。

 

…いや、今ウソいったな。「99%」続かない。

 

はじめに続くパターンをいっておこう。それはね、たとえば父親の遺言とか。

。(母親でも妻でもいいけどな)

そういう、特異なモチベーション上昇要因を、「手に入れることができた」と

きね。

そういうときは、続くんだと思うよ。不摂生で病気して生死の境をさまよった

、となれば、死から戻ってきて健康に気を使うようになるでしょ。

「死」をみてくると、人間変わるよね。

でもまあ、死をみた時点で「凡人」じゃなくなるのかもしれんが。

 

アタリマエのことなんだけどさ、今の自分のぐうたら加減ではやれることは限

定されてくる。

まあたとえば、「朝20分早起きして、近所のウオーキングを週4回(あるい

は1日おき)」ぐらいならさ、なんとかいけるような気がしない?

凡人の、いっちゃん最初のスタートラインってそんなもんでしょ? あ、たま

たまスポーツを例にあげただけだけどね。わかりやすいから。

何もスポーツしてない人がいきなりジョグ10キロはムリでしょ。3キロだっ

てムリ。

そんな計画立てたところで2日で挫折して、心にほんの少しの傷を残すだけだ

から。「ああ、自分って続けられないんだ。。」と。

ウオーキング週4回」が今の自分にふさわしいと思うのであれば、そのとお

り続けてみようぜ。

いや、逆にいうと、続けられるレベルの習慣こそが今の自分にふさわしいとい

うこと。

そうだなあ、それを1ヶ月続けられたとするじゃない。そのあたりで始めての

「未来」がアナタにセットされるよ。

それは、誰にもわからない。

そして、本人すら気付かないぐらいのささやかな良き未来の実現かもしれない

その、ホントに自分の身の丈に合った習慣を、一定期間続けられたという時点

で、初めて、ホントにホントのスタートラインに立てる。「流されない人にな

った」というお墨付きを得るわけだ。

うーん、も少しつづけようかなあ。ここで終ってもよいのだが。。まるで「ね

じまき鳥」(クロニクル)みたいだな。

 

少し疲れてきた。。久々の長文って感じ。

 

自分の身の丈にあった生活習慣を、自分の目標どおりに続けていると、少しス

テージが上がる。気づかないかもしれないけど。

とりあえずただ流される人からは卒業できる、というか、違う人種になる。

もうその時点でホントは、ただ流される人との関わりは断ったほうがよいのだ

が。。サラリーマンとか、なかなかそうはいかないだろうからねえ。

とにかく、ステージが変わったときに、なんかサラリーマン的付き合いに違和

感を感じる人があらわれるから、そういう人とはやんわりと距離をおいていっ

たほうがいい。

そして、次のステージにふさわしい、流されない人と交流していったほうがい

いんだけどね。そうするとステージUPに加速度がつくから。

 

さて、身の丈にあった生活習慣を続けていると、「何か」が実現できる。でも

それは、実現したことすら気付かないかもしれない。

なぜならそれは、自分がセットした目標じゃないからね。

でもね、ホントは、最初の目標はね、クリアできないの。たぶん、一生クリア

できないんだよ。

と、言い方を間違うと誤解を招くのだが。。

ステージを上がってゆく人っていうのは「身の丈」が伸びるから。

最初の身の丈にあった生活習慣なんて、すぐに身の丈にはふさわしくなくなる

んだよ。

続けられる人っていうのは。

だから、自然と、自分に対する負荷を上げてゆく。人間ってのはそういうもん

だ。もちろんその「負荷」ってのは、自分の身の丈の範囲内なんだが。

そうすると、負荷を上げてしばらくすると、アナタにはまた未来に、次の「実

現」がセットされるわけだ。

ということは、かつての未来の「実現」なんてものは雲散霧消しちゃうわけね

。レベルの低い頃のヤツは。

あるいはそれは、あっという間に実現されていたのかもしれないし。それは、

人間のレベルでは、わからないんだ。

そうやって、どんどん人間がバージョンアップされていくから、さっきの話に

戻るけど、結局目標なんてものは一生クリアできないかもしれないんだよ。で

も、過去の目標はたくさんクリアしている。

意味わかる?

到達していないのに到達したことになっている。

かつてゴールと思っていたところに、「ゴール」と立て札が立っていたが、自

分がバージョンアップするとその「立て札」は取り払われる仕組みになってい

る。ということはそこはあっさり通過するわけ。そして「立て札」がないから

、自分がかつての目標をクリアしたということが、まったくわからない。

そういうこと。

ステージってのはさ、勢いがつくと加速度がついて上がってゆくからね。

---------------

自分がバージョンアップすることにより、どんどん、過去の(ちんけな)自分

の目標を踏み倒していくことになる。

あれ? オレってそんなつまんない目標をもっていたのか? なんてことにな

る。

 

で、この話の1回目か2回目の話に戻るんだけどね。

某居酒屋の大社長みたいに、未来に自分の夢の実現日をプロットしておくって

やつ。それができたらたしかにすごいんだけど、それって自分の能力を限定し

てねえか? とも思うんだよ。

たとえば、その夢ってのはけっこう大きめなことを書いていいと思うのね。そ

うじゃないとカタにはまっちゃうから。

でもさ、自分がその夢とは違う方向に伸びていってしまうことも、否定できな

いじゃない? 違う方向で、かつ大きめ、みたいなさ。

そういうときって、大社長はどうするんだろ? 未来のスケジュール帳もつど

修正してゆくのかなあ?

アメリカで事業を興して成功する、っていう話で、途中でヨーロッパでチャン

スを得たら、どうすんのかな? 

オレはアメリカで成功するはずだったのに! って、アメリカにこだわりすぎ

るとさ、後悔しちゃうよね。

でも違うだろっつーか、ヨーロッパに呼ばれているのであればヨーロッパに何

かあるはずなんでしょ。

まぁ、あくまでヨーロッパは経由地であり、最終的にはアメリカだ! と思う

のは勝手だが。。

どこかで柔軟に変えてもいいと思うんだけどね。

 

その点、今の自分をバージョンアップすることが先決で、未来はどうなるか見

えない(でも、ワクワクする!)っていうほうが、いいんじゃねえのって思う

んだ。だって、未来がどうなるかわからないんだから。でも未来はよくなるっ

て確信があるんだから。

 

未来に断定的なことをプロットしてもさ、そこからフィードバックして今自分

が何をしたらいいかわかんない、ってのはまったくダメだね。

そういう人は未来にプロットしちゃいけないんだ、最初から。

ストレスをためないためには

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ストレスをためないようにする、っていうのは難しい。

 

ストレスっていうのはガンっと受け止めて、ぱっと離すようなイメージ?

とにかくためるのはよくない。

 

日常でストレスをためないようにしなければならないのだが、それをほとんど

のビジネスマンは知らない。ストレス発散の儀式がゼッタイ必要だと思ってる

から。居酒屋で上司の愚痴をこぼすとか、そういう典型的なのね。

 

そんなの、いらないんだよ。そういうことやってるとストレスが発散されたよ

うにみえて実は潜在化するだけなのにな。

 

 

まず、「鈍感力」は必要だよねえ。ストレスになりそうなできごとに対して何

も感じないようにすれば、それでよいのだが。

 

それができないのであれば、とにかく、受け流すことだよ。感情で受け止めて

しまわない。

この手法は、「スキル」だから。つまり、技術的になんとかなるものなんだ。

誰でもできることなんだよ。

 

それができるようになったら、前述したとおりに、まずがしっと受け止めてか

ら、離す。

これは、受け流すよりももっと難しいスキルとなる。

 

 

不思議だなあと思うのはね、いろいろな出来事に対して、正直に、真正面から

、受けとめる義務なんてオレら、どこにもないんだよ。

なんで、なんでもかんでも、「直面」しなきゃいけないんだ? 逃げるなとか

受け止めろとか、うるせーよって感じることがよくある。世の中の言説に対し

て。

 

何が不思議かって、これって何者かの策略か? って思うことがある。

日本人を内側から痛めつけようとしてないか? と。

 

オレらはマジメに働かなければならないのかもしれないけどマジメに何事にも

「直面」する必要なんてどこにもない。

 

 

ただしすべてのものごとから逃げてはいけないというのも自明で、直面するも

の、受け流すもの、は取捨選択するんだ。自分で。主体的に。

 

直面するものをうまく選択できれば、ますます人間として成長する。意味のな

いものに対して直面していると、成長するどころか、人間がこわれてくる。(

これが、「ストレスがたまる」とイコールだね)

 

 

出会い頭の衝撃的なできごとは、しょうがないさ。直面するかしないかなんて

判断する前に衝撃的なできごとはやってきてしまう。

 

でもね、ふだんそういう訓練していれば、立ち直りは早い。

ふだんが余裕があれば、何かデカいできごとが起こっても、余裕をもって対処

できる。普段から余裕がないと、いざデカいことが起こると立ち直れないぐら

いになる。

布置(コンステレート)

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先日河合隼雄さんの本を読んでやっとコンステレート(布置)の意味がつかめ

てきたような気がする。遅すぎ。

先日偶然プラネタリウムにいったのも、遠因かもしれん。

 

布置する、という動詞が、星が散りばめられている夜の空に、星座を「置いて

ゆく」という意味なのだとすれば(仮に、ではなくこの解釈は正しいと思う)

 

星座ってもうきっかり決まっちゃってるんだけど、あれってかーなーり強引で

しょ!

ホントはさ、人それぞれじゃない。どういう星座を描くかなんて。

 

だって、月をみて日本人はうさぎの餅つきであると「布置」したんだが、外国

ではまったく違うはずだろう。

 

日本の古い人たちは決してあんな洋風な星座を「布置」してない。だいたいハ

ープなんか知らねえだろって。

 

 

で、話の展開は強引なのだが! 人生なんてね、星空にどう自分の星座を「布

置」するかでしょ。

日本人であれば、網走と石垣島では確かに星の見え方は違うだろう。東京では

星はほとんど見えない。山にのぼるとダイヤモンドのように星が散りばめられ

ている。

 

それぞれの環境によって星空の見え方は違う。だから、同じ環境にいる人間の

ほうが同じ星座を布置する可能性は高い。

でも、可能性は低いが、けっこう遠くの、まったく面識のない人間が同じ星座

を布置する可能性はもちろんある。そういう人たちがどっかで出会ったら(出

会ってしまったら)それは運命の出会いなんだろうよ。いや、男女関係だけじ

ゃないよ。男子と男子、女子と女子もね。

 

東京では星はほとんど見えないが高尾山ではかなり見えるんだろう。でもね、

星の配置は、同じだよ。ふんだんに星を与えられても、ほとんど与えられなく

ても、同じように星座を「布置」する人たちはいる。

 

南半球に住んでいる人間と北半球とでは、ほとんど星の配置すら違う。でも!

 偶然、別な星の配列に対して同じ星座を布置する人もいるはずじゃない。

 

あえて具体的には書いてないけど人生なんてこんなもんだから。

流せる、もしくは「いなせる」

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ビジネス上でのトークで、というか飲みね、接待とか? まあ打ち上げとか?
アルコールの入る席であ、こいつやるな、と思わせるのはね、その周りに群がる並み居る「小物」たちの言動を流せる、あるいは「いなせる」かどうかなんだよ。

そのへん、みられてるよ!

まぁ飲みの席だと「小物」どもが酔った勢いで議論ふっかけてきたりすんじゃん。くだらねえけど。「それ違うんじゃないですかー」みたいな?

逆にいうと、酔わないとゼッタイにふっかけたりできないのが小物。

こういうときに、完膚なきまでに論破するのではなく(容易にそれはできる力量を持っている)「なるほど!」と受け止め、かつ流すことができるか。
(ひとつのたとえ)

小物(バカ)は勝った気になるんだろうけど、飲みの席の局所的な論戦に一度敗けたところでまったく!傷はつかない。
どころか流すだけで周りの評価UP!!