元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

流せる、もしくは「いなせる」

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ビジネス上でのトークで、というか飲みね、接待とか? まあ打ち上げとか?
アルコールの入る席であ、こいつやるな、と思わせるのはね、その周りに群がる並み居る「小物」たちの言動を流せる、あるいは「いなせる」かどうかなんだよ。

そのへん、みられてるよ!

まぁ飲みの席だと「小物」どもが酔った勢いで議論ふっかけてきたりすんじゃん。くだらねえけど。「それ違うんじゃないですかー」みたいな?

逆にいうと、酔わないとゼッタイにふっかけたりできないのが小物。

こういうときに、完膚なきまでに論破するのではなく(容易にそれはできる力量を持っている)「なるほど!」と受け止め、かつ流すことができるか。
(ひとつのたとえ)

小物(バカ)は勝った気になるんだろうけど、飲みの席の局所的な論戦に一度敗けたところでまったく!傷はつかない。
どころか流すだけで周りの評価UP!!

オリるということ

stevengerrard.hatenablog.com

オリればいいの。オリればみんな楽になるのにねえ。

いや、人生を、じゃないよ。人生をただオリるとは死ぬことでしょう。

オリれば楽になる、っていうのはね、みんな間違って解釈してるんだろうと思うけど、オリたら、歩かなきゃいけないわけ。護送船団方式の乗りものから降りたら、自力で歩くんです! そんなの、アタリマエなんだって。

自営業になると責任もくわわってサラリーマンよりむっちゃ忙しくなる(精神的にも)、っていうのと似てるか。

でもね、自力で歩くことになったとしても、みんなと同じ乗り物に、ぎゅーぎゅーに詰め込まれて乗ってるよりもラクだよっていってんの。

たとえば。。通勤ラッシュがイヤだからと引きこもるんじゃなくて、あるいは文句ばっかいってんじゃなくって、セレブリティになって車で通勤すればいいじゃん! ということをいってる。
セレブリティになって車で通勤する、という立場になるのは、大変だよね。そこまで上り詰めるのは。

いや、このたとえはよくなかったな。。ま、いいや。

いちばん言いたかったことはね、何かしらの信念をもってオリて、てくてくと自分が進むべき道に向かってあるいていると、(ほぼ)必ず、突然ハイヤーが横に止まるんだよ。「(あなたの行きたい場所に)御連れします」ってな。
だって目的の場所は決まってるわけだから。ハイヤーですーっと行けちゃう。結果的にはぎゅーぎゅーの護送船団はあっという間に追い越す。さらにさらに、ハイヤーだから超快適!

ここまで、このたとえはわかりましたか?

ハイヤーは、目的地が決まっている「上客」のところにだけ横付けする。つまりは、ハイヤーに乗るにふさわしい格好をしてないとダメだ。(これもたとえ)
ぎゅーぎゅーの乗り物に乗らなくなったんだから、外見ぐらい気にしないと。

上客っぽくみえていても目的地が確定していないとダメだ。

これがさ。。なーんにもわかってないヤツになると、ぎゅーぎゅーはイヤだ!とオリるはいいのだが、そこから歩き出さない!

なぜ歩き出さないかというと目的地が決まってないから。目的地が決まってないくせに「ちっタクシーこねえな」なんていってる。(これも、たとえ)
そういうヤツばっかりね、世の中。(そして「ハイヤー」という概念すらない)

もしね、そういう、歩こうとしないで地べたに座ってるヤツのところに横付けするタクシーがあったとしたら、それは白タクだから!(笑

大外からまわりこむ(人生の極意)

stevengerrard.hatenablog.com

競馬をみていればわかると思いますが、とにかく肝要なのは、大外にいることなんですよ。
人生の極意は。

僕はそうおもいます。

大外から、差し切れるかどうかは、わかりません。
最終的に一着になれるかどうかはわかりません。運もありますからね。

でも、確率的には、集団の中を突破して抜け出すのよりも、ずっと高い。
つまり、難易度が低いってことです。
集団から突破するのはとてもむずかしいことなのです。

まぁ、いくら「大外」といっても、極端に外にはいないことです。
なぜなら、集団のペースがわからなくなるからです。

大幅に遅れるのは論外。いちおう、ついてはいかなければなりません。
集団を視界にとらえていなければなりません。

つきつ離れつ、どれぐらいがよいかは、感覚でわかるはずです。ほどよい距離感というのは。

ところで、集団に引っ張ってほしいという思いを持っているのであれば、集団の中にいればよいと思うのです。僕はそうは思わないというだけです。

僕は、自力で、集団のペースについてゆく。集団のパワーに依存はしないで、ついてゆく。

集団の中にいれば相互依存、相互扶助の力がはたらくのかもしれないけれど、とにかく、窮屈じゃないですか?

斎藤一人さん 「仕事が速い」

stevengerrard.hatenablog.com

「速いものには需要がある」ということは、人間にも当てはまります。仕事が

速い人は、会社で需要があるんです。需要があれば、出世する。【斎藤一人

 

カンチガイしてはならないのは、「仕事が速い」ってのは「着手が速い」とい

うこと。能力があって速くこなせる、とは違う。

 

社会ってのはさ、手段が豊富にある。ものすごくアタマの回転が速くて事務処

理をスーパースピードでこなすヤツと張り合わなければならない局面になった

としても、ただ単にそいつより3時間速く始めればいいだけの話。

 

そしておおよそ、そういうヤツって「うさぎ」だから。休み休みやるし、過信

してるからサボろうとする。

 

重要なのは、残業してやろうと思わないことだ。それでは、1日遅いんだよ!

 1日の遅れがビジネスでは致命的になることもある。

早朝から始めるクセをつけておくこった。

「時間」を与えるのが教育

stevengerrard.hatenablog.com

結局ほとんど習い事をさせずにきてしまったが。。そのことがどう転ぶかは、わからない。失敗なのか成功なのか。。結果はオトナになってからでる。

でも、でもな、オレは、子供が毎日何らかの「予定がある」みたいな状況ってキモチ悪くてしゃーないわけね。だからその直観にしたがって「実践」してるわけで。

実はね、オレのまわりの大部分の親も同じことを考えている、のだけれど、彼らは周りに流されてしまって、実践をしていない。

いや、オレはね、習い事さすのに反対じゃあないのよ。でもね、オレの周りの親たちは、あまりにも「まわりも始めてるから。。」という動機でやらせすぎなの! そこには自分の直観がまったく入ってこない。


なんつーかな。。オレは、たっぷりと「時間」を与えるのが教育だと思っていて、オレのまわりのほとんどの親は、たっぷりと「機会」を与えるべきだと思っている。「きっかけ」とでもいうのかな。
それがイコール、習い事というわけ。

前者と後者は、貴賤はないと思うぜ。オレの意見も尊重されていいし、子供にたくさんの機会を与えようという動きも正しいっちゃ正しい。

ただね。。オトナになったら、時間はねえぞ、と。子供時分から「予定を入れてゆく」クセをつけてどうすんだ? と、個人的には強く思うわけだ。

我が子の味方

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いやあのね、揺るがない考え方として、子供らにはずぶずぶの味方であろうとしているよ。
何があっても、味方。

だいたい、建前論ではどの親でもそういうキレイゴト、いうよ。でも実際はそうではない。それはなぜか?っていうとね、基本、子供ってムカつくじゃないww自分の子供でも。いや、自分の子供だからこそ、自分にいろいろ言ってくるからクソ生意気だよねw

反抗期だしイラっとさせるし。。という状況の中でずぶずぶの味方であることは、そんなに簡単ではない。

でもけっこう、我が家はやれているような気はする。それはなぜかというと、長い時間かけて仕込んできたからなんだよね。

まずは親の成長?というかね、子供がどんなにムカっぱらの立つことをいってきても、とにかく受け流してみよう、という。

あとは親の躾だよね。反抗期であってもそういう、ムカっぱらの立つような発言をさせないようにする、みたいな。
それってさあ。。むっちゃムズカしいから我が家では若干反則の手を使いw とにかく、外ではどんな振る舞いをしてもいいから(さすがにおまわりさんに補導されちゃマズいが)、家では親の言うことを聞きなさい、みたいなスタンスで子育てしてきた。

だからウチの子は先生に評判はあんまりよくない(苦笑)。反抗。。じゃないんだけど、本人は単に議論してるだけだと思うんだけど。クソ生意気なんだろうな、先生からみると。
でも、親であるオレはそれを完全肯定してるしw だからうちの子らは通信表は悪い(苦笑)

通信表が悪いのは100%オレの責任だからw 先生とか学校の言うこと聞いて内申の点数上げとけとか、そういう育て方はしてないからな。

外で大人の言うことを聞かなくともよい、でも家では親の言うことを聞け(極端にいえば、だよ!)ってさ、実はね、当の親はむっちゃ大変なんだよ? 身の引き締まる思いとはまさにそのこと。

オレとか家内を指針にしろってことだから。「引き受けて」るからね。このプレッシャーたるや、けっこうなもんだよ。

得意の?都市論

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人類が目指してきたのは、雑多な都市でね、人間がひしめきあいながらもかつ「清潔に!」生きていくということだったんじゃないの。20世紀の終わりに東京に移住して、どっぷり住み着いてみて15年、あらためてそんなことを思う。

オレなんか世の中が激烈に不潔だった時代を知らんから。。
隅田川がドブ川みたいに汚くてクサかった時代であれば、もっと清潔に!と思っただろうし。

あのね、ひと昔前のイギリスだっけ?都市と田園が明確に分かれていたのは、都市がこ汚くて、住みずらい場所だったからであってね。
都市そのものが清潔になり、ある程度人工的ではあるが「田園」の機能を持ってしまったら、つーかすでに持ってるけど、デフォルトで出不精である都市生活者は「田園」になぞ出ていかねーよ。

いやね、まれに「本物志向」(笑)なヤツがいるだろうから、本物の田園できれいな空気を吸いたいっていう考え方もあるだろうが。
でも基本的に出不精だからね、都市生活者は。その都市の中ですべてが完結するから、それがお気に入りで、都市にいるんだからさ。

で、逆に。。オレがきわめて批判的な(苦笑)地方生活者のほうなんだが。正確にいうと「地方都市」生活者ね。

彼らは、まったく出不精でなくて、なぜなら車持ってっからさ。ひゅーんと出かけちゃう。まるで尻軽女のように。(批判的だから、毒舌)

ちょっと出かけすぎじゃんってぐらい、出かける。地方都市から山のほうにも、海のほうにも、そして首都圏にも、繰り出しちゃう。

リアル都市生活者が出不精で、基本的に都市で完結させたいのとは、えらい違い。

オレが批判的なのはその、どこにでも出かけちゃうところなのかなあ。自分の住んでるところを大事にしてないのよ結局。都市生活者よりも軽視してるのよ実は。表面的に地元の祭りとかに参加して地元とのつながりを強調するクセにな。
オレはそのあたり20年前から見抜いてるぞ!と。

んでさ、地方都市生活者って東京(あるいは大阪)の空気を吸いたくてしょうがないのよ実は。まあジャンクフードみたいなもんかね。東京の空気はキタナい、住むとこじゃねーと文句いいながら、カネ落としにくる(嗤)。まんまと。

あ、そうそう、オレが地方都市生活者がキライになった理由はここだから。「東京は住むとこじゃない」って公言してるのが、バカじゃね? と。東京23区民850万人を一瞬にして敵に回してんだよそういうバカは。
しかも、たまに、つーか頻繁に、「東京」という存在にすりよってくるクセに!

あいつらが「東京は住むとこじゃない」とオレら、いやオレを全否定さえしなければオレはこんなに攻撃的ではないのだ。
オレはあいつらは全否定なぞしていないんだから。まぁそもそも眼中ねえけど(また毒舌。。)

あ、そうそう、それでね、地方都市の中心部って多分に東京を意識してんのね。否定するかもしれないけれどゼッタイそうなのよ。

でもそれが。。あまりにもダサいのね。地方都市はどこも金太郎飴だから。だから、地方都市生活者は自分の住んでる都市の中心部って嫌いなのよ。ダサいから!

それに対して、若干牧歌的ではあるけど「田園」ってのはさ、変わらないモノ、場所の象徴でしょ。
オレが育った田舎(とある地方都市から7~8キロ山のほう)って、ぜんぜん変わらないよ。40年ぐらい。変わろうともしない。
変わらないのは、別に良いことじゃない。けど変わらない(変われない)っていう事実がある。それが「田園」なんだよ。

変わらないのはよいことではないのだが、都市はとにかく変遷していく。変遷し続けるのはオレは好きだが、これもよいことではないのかもしれない。が、それが都市の宿命。変わらない(変われない)のは(基本的に)田園の宿命。

ハンパなのが地方都市の中心部。