朝余裕があるようにみえるのは単にムリして早起きしてるだけだろ
別にデフォルトで余裕があるわけじゃねーよって。朝余裕があるのは朝オレが「早起き」を選択してるからだろ? オレだけ神に選ばれし時間を与えられてるわけじゃないってw 「取りにいってる」の。わかりますか?
余裕、とかなんでもいいのかもしれないけど「それ」がほしいから、「それ」を手に入れるためにどうしたらいい考え、そして実行する。
その「実行」ってやらはデフォルトでちっとだけツラいものだけど、「それ」がほしいから、やる。やれる。
「がんばる」とか「一生懸命」っていうんじゃなくて淡々とやるのよ。騒がず。まわりにわめかず。
ま、いろんなところで何度も何度も書いているルーティンに落とし込むってことだよね結局のところ。
リミッター
「自分は~な人間である」と規定するのは自分に「リミッターをかける」ようなもんで。
それだったら、いっそのこと「自分は万能である」って規定したらいいんじゃないのでしょうか。無料なんだし。罰せられることもない。人に迷惑もかけないのですから。
後者が「ウソいってるみたいで」と思うのであれば前者もウソです。それは大前提としておさえておいたほうがいいですね。
ところで、
「世間体」ってやつに(喜んで)リミッターをかけられているのであれば、それは外したほうがよいです。
「他人」にリミッターをかけられているという自覚があるのであればその他人からなるべく離れたほうがいい。人間関係は一回、いや、何回でもリセットしていいのです。
もっとも難しいのは「親」のリミッターなのです。(本題)
「躾」という名の洗脳。日本の教育はかなり均質化されていてそれが問題にされることもありますが、躾ってのは個人宅によってぜんぜん違う。躾は均質化とは逆の方向にいってます。
悪い親に育てられた子はホントかわいそうです。
いや、僕の親が悪かったわけじゃなくて。。なんというか、どんな親でも、特定の、偏向的な性癖があるでしょう?
そういうのが、子供に多大な影響をおよぼすわけです。
そして、さらに悪いことに、親の洗脳には一生気づかないかもしれないのです。親から受け継いだヘンな性癖に対してヘンだとも思わずに一生過ごすかもしれない。(他人は即座にヘンだと思うのです 他人は他人で別な躾をうけていますので)
これを振り払って、新たな人生の第一歩を踏み出すのは、ホントに難しい。なぜならば、「親の躾(洗脳)は間違っていたのかも?」ということを認めることから、はじめなきゃいけないからです。
僕の場合。。親が歳をとるほどに「哀れみ」を感じてしまって。。老化というのもあるのですが、ああ、ウチの親ってのはなんて器の小さい人たちだったのか、と。。
これを認めてしまったときはけっこう愕然としたけれども、その後はいい感じの「上から」目線で親に接することができるようになりました。これは、けっこうよかったです。
俺は、親(この、器の小さい)を超えなきゃホント駄目だなって、強く強く思うことができたから。
最大のリターンが良い投資ってやっぱ教育、そして子育てだと思うのね。
川島和正さんはじめ、多くの「著名人」たちは、もっともすべき投資は自己投資だっていってるんだけど。。オレは自己投資は2番目だと思うよ。
まあ子供がいない方は自動的に教育投資はないんだが。。
それとね、これは単なる「運」にすぎないんだが、教育投資のうちでもさらにもっともやるべきなのは「男子」への投資なんだよね。
あんまり、これを明言してる人はいない(つーか、いろいろうるさいから言えない)んだろうけど、男子への投資、女子への投資で比べたらリターンはまったく違うと思うよ。
だって、この国はいつまでたっても、女子は「嫁にいく」「くれてやる」「もらってやる」だもんな。そういうのってオレすごくキライだけどそれってオレが決めたわけでもないし。少しずつ少しずつしか変わらないし、オレが死ぬまでこの国はそんな感じだと思うぜ。
ウチは幸いにも男子が複数人いるから、ヒッシに、半ば死ぬ気で子育て(イコール教育投資)してるよ。
だから、これはたぶん良いことじゃないんだけど、自己投資も、いわゆる一般的な「投資」(金融とか?)もほっとんどやってないから、安心しちゃってるっていうのはあるね。
あのさ、かなりぶっちゃけるけど子供(男子)が「まっすぐ」育ってくれて、年取った後老夫婦を面倒みてくれるとしたら、これってものすごいリターンだと思わん?
自分で家なんか建てなくったって子供の家に居候させてもらえばいいじゃんって。
あ、そもそもオレの持論は、21世紀半ばになったらふたたび「家族」で暮らすトレンドになるから。核家族って何?みたいな時代になるよ。
オレは死ぬ気で、子供が40になるぐらいまでは支援する。その後はころっとバトンタッチ(世代交代)して、やめる。
そう考えると、子供がどういう子と結婚するかって、かなり重要なファクターなんだよね。オレは嫁に「もらう」なんて絶対思わないけどね(笑)。
「托鉢で太るべき」
前にも書いたと思うんだけど、托鉢者は太るのが道理っていう話ね。
托鉢って食べ物を恵んでもらうわけでしょ。で、この現代社会で、どこの家をまわったって残飯恵んでもらったとしたらみーんな高カロリーなわけ。
で、托鉢ってのは絶対に断れない。すべて、高カロリーだろうが脂っこいものだろうが、ありがたくいただかなければならない。
自然、太るわね。坊さんって運動もしないしね。掃除はするかもしれんが。
昔と真逆なわけ。昔はどんなに粗末な残飯でもありがたくいただきます、と。今はどんなに油っこくて、「おえっ」となりそうであってもありがたくいただきますと。
この話はなんか象徴的でしょ。
それと。。なんていうのかなあ。こういう絶対服従の関係性って、もはや絶滅危惧種でしょ。
たとえば弟子入りとか? 職人の世界で未だあるんだっけ。あったとしても俺からは遠く離れた世界だ。
まあ、あったとして。
弟子は、師匠がカラスを白いといったら弟子もはい、白いですと言わなければならないみたいな?
自分がどう思ってるかどうかは一旦すべて「おいておく」のね。
そうそう、ひとことで言い表すと、弟子は師匠のすべてを「清濁併せ呑」むべきなんですよ。
それはなぜかというと自ら望んで弟子入りしてるわけだから。
いや、呑むどころの話じゃない。たぶんね、極端にいえば「恍惚と甘受する」ぐらいの気構えが必要なの。そうじゃないと弟子入りなんてやってらんないよ。
そこまで徹底できるかどうか。
ってそもそも別にこの現代社会でやんなくともいいことなんだけどな。
托鉢の話に戻ると、いただく残飯はやけに甘ったるくて、ジャンキーで、けっこうおいしいのかもしれないけど、まったくの高カロリー。はっきりいうとほとんど「毒」。この「甘ったるいの」を「甘受」するってことなんだよ。甘受ってのは精神的な話ね。
つまり、肉体的にも「精神的にも」ぶくぶくと太るのです。
あー、すっごく重要なところにタッチしてるんだけど、うまく言い表せないのはもどかしい。
読んでいる方が「なんとなくわかるような気がする」と感じてくれるのであれば嬉しい。
1分!
オレの成功法則でもあり、幸せになる法則でもあるのだが・・(確信してる)
「あちゃー、見つけちゃったよ。。」っていうときに1分! そのことに時間を使えるかっていうこと。
1分しかないんだから考えてる時間なんてほぼないわけ。
そして「それ」は間違いなく、自分が忙しいときにやってくる。(物理的に忙しい/精神的に忙しいどちらも)
具体的にいうと、オレの生活のたとえでいえば、出かけようとしたときにふと、とある隅っこに汚れを見つける。。とか。
家具?とかが軽く納得のいかない配置になっていることを発見するとか。。
(他にもいい例がありそうだが今思いつかない)
別にそれをスルーしても死にやしない。それに、世間一般にいえば、たとえば朝急いでいるのだとしたら、それをやるよりも遅刻しないように出かけるほうが、大事なのかもしれない。
でも、やるんだよ! なぜなら、それは必ず、何かしらの「お告げ」なんだから。
あ、アイディアなんか顕著な例だね。これはこれで、別カテゴリだけどさ。
良きアイディアはメモ帳を持っていない/メモをとれない状況のときにやってきて、ふっと消えていく、ってやつ。
重要な電話も忙しいときにかかってきたりするよな。
そういうのが起こると今は「あちゃー」「しょーがねーな」っていうことで、そっこーぞうきんをぬらして、そそくさとふいたりする。それで終了。それだけでいい。
「着手」だけでいいの!完遂させなくてもいい。ここが、ポイント!
メモの例でいえば、多くの人がやってると思うけど、アイディアのさわりというか「アンカー」(そのキーワードで芋づる式に思い出せる)、あるいは書けるのであればまとめだけそそくさと書いておく。
そうすると8割以上の確率で、読み返したときに思い出せる。思い出せないならば、仕方がないのです。着手しただけで十分なのだから。また間違いなく別な機会に思い出せるから。
急いでいたとしても、1分であれば九分九厘、遅刻はしない。間に合うようになっている。
掃除の例でいうと、ささっとふいて着手して、どうなるかというとどうもならない。ひとついえるのは、もはや「そこ」は気にならなくなる。それで十分なのかもしれない。
1回、どうしてもスルーせざるを得なくとも、もういっかいはくる。ほとんどの場合。もう1,2回きて、そこで終わる
掃除の例でいうと、ささっとふいて、気付かなくなるのと、何かの「お告げ」が、何回か「気づけよ!」とそれを現前させてくれているのにガン無視して、結果「お告げ」様が、けっもういいよ、せっかく目立つようにしてやってんのによ、こいつはもうダメぽ。と気付かなくさせるのとでは、雲泥の差があるのだ。
この1分!が自分への投資なんだよ。その積み重ねなの。
で、オレは、この1分を最優先で使おう!と決心してからかーなーり人生好転し始めた。
でもオレの成功なんて、大成功じゃないけどね。庶民の幸せ、の継続、っていうこと。
それを強く望む人は、やってみるといいよ。
もっと大きな成功を望む人には参考にならないかもしれないし、なるかもしれない。
大きな成功の最初のステップとして有益かもしれない。
重要。身体を騙す
急いでいるときほどふわっとナイスアイディアがうかぶ。ヒマしてるときはうかばない。と油断していると眠りに落ちそうなときに浮かんだりする。
つまりえてしてメモをとれないときにアイディアが浮かぶというのは多くの人が経験しているのだろう。
で、それに対するオレの対策は、体をだます(笑)。
つまり、本当は30分ぐらい余裕があるのにせかせかと準備したり速足で歩いたりする。ふわっとアイディアがうかび、なんだよこんな急いでるときに!と一瞬思うのだが実は数分立ち止まったところでまったく間に合う。
という意味でも時間に余裕を持った行動は必要やね。
時間に余裕を持つというのは鉄板の成功法則なのだがその理由はこんなところにある(ちがうかw)
「感受性豊か」が間違って意味が広がっている
☆文章が拙いのだが、言いたいことは伝わってくるw
なんでもかんでも世の中の森羅万象に対して感情を揺り動かされるのが「感受性
豊か」と思っている人間のいかに多いことか。疲れない?
さらに、教育でも「間違った感受性豊か」を正しい教えてしまう。だから、教室
が崩壊する。
美しいものをみて美しいと感じるココロは確かにたいせつかもしれない。
醜いものをみて「うわっ醜い!」と感じるのは自然だ。だが、それを声高に発言
、主張する必要があるのかっつー話よ。
だいたいさー、たとえば醜い人間がいたとして、「アンタ醜い」っていわないよ
ねふつう。
でもさ、へーきで、噂話として「アイツ醜い」っていうよね。もし本人がいたら
きっと傷つくであろうことを。
それをいう自由は人間にはないと思ってんのよ、俺は。本人に「アンタ醜い」っ
ていえないのだったら噂話で「アイツ醜い」っていうなよって。なぜ言わなきゃ
いられないの? 他人の陰口を。
それが俺は、すごく不思議なんだよね。そんなのカンタンに、自分の胸のうちに
しまっておけるじゃん。そして、カンタンに忘れられるよね。他人のことなんて
。
ちょっと話がそれた。。
たとえばね、楽しいことがあったらおもいっきり「楽しい!」「幸せ!」と。ネ
ガティブなことがあったら、思い切り泣けばいいと思うのよ。ただし! 他人に
迷惑をかけない範囲でね。自分で消化すればいいの。
それが難しいよね、確かに。楽しいことはシェアすればいい。楽しくないことは
自分でしまう。
ポジティブもネガティブも周りにぶちまけなければならないという義務は、どこ
にもない。
ポジティブだけシェアしてネガティブはしまっておく、ということができないヤ
ツは(それができないってのはけっこう問題だが)
もっと淡々と日々を過ごせばいいのだ。ポジティブに揺り動かされなくともよい
。そのほうが世の中の害毒にならない。ポジティブなことも自分でかみしめてお
けばよい。
もともと、人生はそんなにダイナミックでなくともよいのだ。凡人の人生は平凡
だ。