元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

本読んで!(切実)

ameblo.jp

あのー、オレと同世代とかで将来の不安を嘆いている人たちって一律本読んでないと思うんだよね。

仕事して適度にアソんで適度なリア充満喫して家では寝る、みたいな。そういうそれなりな人生を送っている人ほど将来不安なんだろうね。

オレ本読んでるから将来に不安はないな。いやね、実際どうなるかっていう話じゃないのよ。不安に感じてるかどうかっていう点が大事なの。

なぜ、本を読んでいると不安を感じないのか、は、わからない。こういうこと言い出すと、本読んだところで知識が増えるかもしれないが実生活に何も役にたたねーじゃねーかそして役に立たなかったらどうすんだみたいな反論が今にも聞こえてきそうだ。

それは、そのとおりです(爆

補足するとオレは本を読みながらも行動をしているから、将来に対する不安がないのだ。
と、いうことは、世の中のそれなりなリア充なひとたちは「行動」のほうは充足してるんだからあとは本を読むだけなんだよな。

時間がない、ってのは間違いなく言い訳。オレは早起きして時間ねん出したけどね。それぐらいはやったほうがいいよ。

本って何を読んだらいいかわからない、ってのも言い訳。わからんのだったら大きい本屋いって平積になっている本たちの中からタイトルにひかれるものを買ってよみゃいいよ。
あなたがケチなヒトならばブックオフの100円のコーナーでも別にいいよ。とにかく読むという行動を始めなければ。始めたら、それを軌道に乗せなければ。

日常で本を読むことをルーティンに組み込み「完了」となったオレだが、これによりどんだけ人生ラクになったかしれない。

本物の坊さんは太る(?) 2011年09月

stevengerrard.hatenablog.com

おそらくうまくまとめられないと思いますが、こういう考え方もあるのではないか? ということを書きます。

禅寺の暮らしのイメージは、まず「質素」です。本格的なところでは野菜などは自給自足。食事は精進料理というやつですね。

ところが、托鉢を生業としている坊主は(そういう人が現存しているのかどうかはわかりませんが)食事の選択肢がありません。施されたものを食べるしかない。

腐り気味であっても「有り難い」と拝んで食べる。

ということは、カネ持ちが多く住む地域で托鉢をしているとどうなるか? 高カロリーの肉とか、甘いお菓子の残りとか、ガンガン施されますよね。コンビニ弁当の残りとか。

仏道の修行が、もっとも厳しいところまでくると逆に高カロリーになる。栄養満点になる。ただし、栄養はかなり偏ります。

栄養が偏って体調不良になるのが「修行」であり「業」。現代社会のゆがみ、ひずみをすべて受け取るかたちです。

それに比べて禅寺の質素な精進料理など、人間にとってはきわめて健康的な食生活であり、逆にぜいたくきわまりない、といえるかもしれません。

そういうことなのです。

目標実現の積み重ね 2011年09月

stevengerrard.hatenablog.com

小さい自己実現の積み重ね。

100%、実現できるとわかっていることを実現さす、でもいいんだよ。成功体験を積み重ねていけばいい。

「明日はスーパーにいってトイレットペーパーを買ってくる」とか。
そういう目標を立てたら、雨でも風でもいかなければならない。そのぐらいは、自分を律したほうがいい。

仕事でもプライベートでも、今日やらなければいけないことをリストアップして可視化し、それを夜までに実現させる。
あたりまえのことだが「やらなければいけないこと」はせっぱつまってるから、実現できる可能性が高い。
「やりたいこと」とか「やるべきこと」はなるべくならリストアップしないほうがいい。(最初は)

そのうちだんだんと、じわじわと「幸せ感」が増大してゆく。


それと、
なるべくなら「1stチョイス」を実現させたほうがいい。
うまくいえないけど、「おいしいものを食べにいきたい!」という場合を例にとれば、そのときの直感でいちばん食べたいものを自分に食べさせてあげるべきである。それこそが「成功体験」。

そういうときに限ってプチ・障害が発生する。カレーを食べたいと強く思い、所望の店にいくと休みだったり、行列してたり。。
障害は「試されてる」ということだ。カレーを食べたいと強く思ったのであれば、別な店にいって実現させるべきだ。

ただし、いちばんよいのは、計画を立てること。障害を予見して未然に防ぐこと。(定休日は調べておく、とかね)

そういうことなんだよ。

瞑想とは無を食らふこと

ameblo.jp

いつもうっすら思ってることなんだが
「瞑想」ってのはね、いってみれば「無を食らふ」ことなんだよね。
いわゆる「心」にとっては、たとえばヒーリングの音楽とか?そういう「やさしめ」の情報をいれるよりも、実は「無」ってのがもっとも栄養であるという。。

っていうのはリアル社会の「食」にも応用できるんじゃないかな、ってね。

カンタンにいうと食べないこと(すなわち「無」)がもっとも肉体にとって重要な栄養たりうるのでは?っていう。

いやくだらない反論受けたくないから最初から書くけど生物は何かしら食べなきゃ生きていけないっていうのはわかりきったことなんだよ。

瞑想だってずっと「無」を食らっていたら心は気が狂っちゃうと思わない? 同じ同じ。
だから「たまには」ってこと。あまりにレベルの違う栄養価であるがためにたまにしか食らうことができないというw

快適に?生きていくためには適度なノイズも必要で、それと同じぐらい適度な「無」も必要だっていうこと。
食も同じ。適度な、実はおいしくてたまらないジャンクフードも21世紀はゼッタイに必要で、それと同じぐらいデトックスも必要だってことだ。

ノイズだけに囲まれても人間気が狂っちゃうし、無だけでも同じ。
ジャンクフードとか飽食が延々と続いても人間は病気になっちゃうし、ぶくぶく太ってダメ人間になっちゃうし、でも何も食べないとやせ細って死んじゃう。

 

ぱーと使わねーとやってらんねー、っていう人種 2015年01月

stevengerrard.hatenablog.com

オレの知ってる範囲の、つきあいのあるリーマンのさ、いわゆる「大手」といってよいであろう会社の部長とか本部長とか、そのクラスね。

こういう人たちってけっこう「やってんなー」といってよいぐらい、ぱーっと飲み歩いてるよ。彼らなりに精いっぱいアソんでいる。
キャバクラとかね。

なんかね、10年ぐらい前だったらぶっちゃけうらやましいと思っていたんだが。。

今、自分がまさにそのぐらいの年齢になってみると。。。

とにかくあれはね、彼らの「経費」なんだなあ、と。

ぱーと使わざるをえないんだわ、彼らは。会社から受けるストレスを解消するために。
そういう「経費」をつかわないと彼らはやってゆけないんだわ。

同じぐらいの世代だからわかるっちゃわかるんだけど、一方で、あー彼らっていいように会社組織にヤラれちまってるなあ、と。。
若干哀れ。

だってさ、(いわゆる)「彼ら」ってさ、間違いなく寿命縮めてるっしょ。
会社のせいで!
かわいそうに。。
毎日とか2日にいっぺんとか深酒して、身体壊して、健康診断で再検査して。。

それとさ、「彼ら」って子供との平日のコミュニケーションとるきないだろ。子供とのコミュニケーションは平日こそ大事なのに。。
休みの日に挽回すりゃいいと思ってんだろ?

これが、家庭崩壊の萌芽。奥さんとの関係性も同じ。休日に家族サービスすりゃそれでいいっしょ、ぐらいに思っている。
ていうかそういうふうに洗脳されている。


さらにさらに、もっとヤバいと思うのはさあ。。
そもそも時間ないじゃん?
だって、朝から晩までがっつり働いて夜は飲み、だからさ。当然じゃない。

つまりね、会社に「経費」をぶんどられているどころか「時間」も奪われてんだよ。それ知ってた?

時間を奪われるとどうなるか?それはね、自己投資する時間がなくなっちゃうってこと。

彼らぐらいの役職になると会社からけっこうカネはもらってんのかもしれないけど、ちょっとキャバはしごしちゃったりしたらさ、そしてそれが続いちゃったりしたらさ、いったいその人の「手取り」はどれぐらいなのよっていう。

手取りが減っちゃうと自己投資への資金投入もできないじゃん。

自己投資するカネも時間もないとどうなるか。。当然、スカスカになるわね、人間として。そのおそろしさを知らない部長クラス(以上)は多いねえ。

自己投資ってのは結局会社ではない外部からのインプットってことになるんだが、それが絶たれるともう伸びないんだわ。人としても、ビジネスマンとしても。

そこで!うまーく会社にからめとられちゃうわけなんだがたとえば「管理職研修」とかそういう謎すぎる研修!!

管理職になるといろんな研修が会社から用意される。ってことは結局会社がしいたレールってことだよね。

これって自己投資じゃない。気をつけろ!違うんだぞ!

ウチの会社は無料でいろんな研修を受けさせてくれるからいいなあ、なんて思い始めたらもうアウト。社畜認定。定年までがんばってね。

まーさーに会社の思うツボ!洗脳。

会社がさ、自分の会社に不利益になるようなレクチャーをする研修を準備するわけねえだろ!
自己投資ってのは逆に、会社から脱しても生きていけるスキルを身に着けることだろうが。完全に相反しているのだ。


ただーし!(長くなりすぎたので最後)

部長とか本部長クラスをね、突き抜けていくのは実は、社畜じゃないんだよ。自己投資に時間を割いた人。会社のしいたレールから外れようとしているが外れないヒト。

これが不思議っつーかちょっと矛盾してるんだよねえ。

つまりは「型破り」ってことなんだろうけど型破りな人間を育てようとはしないんだわ会社って。でも型破りな人材を頂点にもってこさせようとする。

この矛盾が不思議でしょうがねえんだ。

極端な例だけど社長をいきなり外部から招へいするってそういうことでしょ。

神仏儒 2011年09月

stevengerrard.hatenablog.com

信じるのは神(超越的な存在)であり、現人神ではないのです。

つまり、僕にとっては釈尊ですらないのです。(釈尊は実在の人物ですから)

そして、まだ深くわかってはいませんが、その「神」というのはすべての先達(亡くなった方々)の意識の集合体なのかもしれません。

「霊的」なものでもない。「霊性」というコトバがあてはまるような気もします。

僕にとって仏儒は「思想」であり(最近、そう決めました)、思想とは学問であり、仏儒を思想するのと神に祈ることになんら矛盾はありません。

ムカシから、日本人はそうやって生活してきたのだと思います。

それに戻ってゆくだけです。

サッサとかでさっとふく

ameblo.jp

オレさあ、自分ってホントすごい、天才!って思う瞬間がいまだあって。。もうアラフィフなのに(苦笑

それはね、ちゃちゃっとゾーキンとか、「サッサ」とか(知ってるよね?)でホコリや汚れを落とす習慣があるってこと。

アラフィフ男子の、98%ぐらいは、これやれてないと思うよ。
このオレ様がやることではない、みたいな、ヘンなプライドがあると思うし。

サッサとかゾーキンがなければティッシュでいいんだよ。


つまりね。。
きれい好きとかそういう話じゃなくて、見逃さない?とか、クサいものにフタをしないとか、そういう方面。

あのね、1分かからないのよ!そういうのって。めんどくさ。って一瞬思うかもしれないけど、たった1分。1分で、ほんの少しだけスカっとさわやかになれるの。
オレの人生それの繰り返し。だから、壮大なスカっとさわやか。。たとえば海外旅行とか?でけーイベントっての?そういうのがいらないんだよね。

家の役に立っているちょっとした掃除で。。さらにそれが少しずつガス抜き?っていうかストレス解消にもなっているという。。
やっぱオレって天才以外の何者でもない。自助努力でほっとんどストレスためないしね。