元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

21世紀はホント大変な時代なんだってばの話ふたたび

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21世紀はホント、大変になってきてんだってばよ!

単調作業をふつうの生産性、品質でやれる人間(欠損率2~9%ぐらい、つまり、ふつーの人間の作業生産性ってこと)はホントパージされていくだろうね。時給900円前後で生き延びてはいくだろうけども。
昭和の時代まではそういう人間が、歯を食いしばってさえいれば、かつかつで家族を養うことができた(らしい)。

そっから先に行くにはいくつか道があって、まずね、たとえばタクシーの運ちゃん。
単調労働のはずがもはや単調労働ではなくなってきているサービス業ってこと。
具体的にはビアホールのフロアマスターとか。
そういうところで、笑顔で、客のために働く人間に変われれば、の話。変わるのはけっこう大変だよ。

次は掃除屋ね(たとえ)。なんでも屋に近い。つまりね、一般ピープルが「本気で」いやがることを請け負う。
葬儀屋もそれに近いけど、くいっぱぐれはないかもしれないよね。続くかどうかはわからんが。

あとよくいわれるのが「職人化」ね。自身を職人化していくこと。
単調労働であってもそれを100%の精度か、おそろしく早くやれればよいはずなのだが、それはキカイのほうが得意だ。
だから、その中にアナタしかできない「エッセンス」をいれていくことができる人間。
具体的には。。自分で考えてw キカイにはゼッタイにできないこと。


カンタンにいえば、アナタじゃなきゃダメ、っていうことをやっていく、ということなんだけども。
でも、最初に書いたふたつ、単調労働的サービス業と、いやがりこと請負いは、アナタじゃなくとも大丈夫。やる気さえあれば。忍耐力があれば。

「アナタじゃなくとも大丈夫」ってね、実は、いいことなんだよ!? 知ってた? 代替可能であることの安心感って、なんで誰も論じないんだろう? なぜ常にどんなシチュエーションでもオンリーワンにならなきゃいかんの?って思わない?

「死んでも」な反面教師

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オレも昔はよ~、って同じことをリピートする年寄りには死んでもなりたくないのね。

実際、30年ぐらいはそう強く思い続けている。

ま、実のオヤジがそうだったからさ。
自慢話のネタが、少ないんだよ。数個しかないから。だからリピートになる。

今現在オレはそういう人間にはなっていないが、今後ならないとも限らない。

「オレも昔は」と言い出す理由は、(その年寄りにとっての)「今」に満足してないからでしょ。

だから、オレも間違いなく今後年寄りになっていくから、その年齢年齢での楽しみを見つけて充実させていかないと。
いつも未来志向で過去は「封印」するぐらいの勢いでいいよ。だって過去の話すると自慢話ちっくになっちゃうんだもんな。誰が話しても。

なぜ過去は封印するかわかる? あのね、オレだってわかっている。「若さ」ってのはサイコーだよ。若いってサイコー。

若いからできること、若くないとできないこと、ってたくさんあるよ。でもそれが何か?
年齢を重ねないとできないこともたくさんある。そこにスポットライトをあてろよみんな、って話。

まとめると。。

昔はよかった。でも今もいい。

で何が悪いのかって。

模倣はしなかった

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僕は、稚拙であったことは認めるが、人生のほとんどの局面で他人のマネをしたことはなかった。ゆえに、自分と同じような人材は残念ながらなかなか育たないと思う。

自分のことをなんかしらんが「けっこう」オリジナリティがあると思ってる人間と、いわゆる「意識高い系」はかなりの確率でカブりそうなんだけど、そういう人間って自分の人生がほとんど「模倣」であったことを知らんのね。
そういう人間って「意識高い系の権化」のマネしてるにすぎないから。

および、そういうヤツらってけっこうマスゴミ気にしてんのよ。気にしてないふりして気にしてる。

でね、マネをしたことがないってのはね、それほど良いことでもないのよ。間違いなく最短距離は進めないからね。しばらく前の流行り言葉でいえば「ロールモデル」を設定してその相手の人生に沿って自分も生きていったほうが、「最短距離」ではあると思うし、悪くはないと思う。

オレも私淑する人はいるけど本の中の話だし、実在の人物でロールモデルをみつけたいのだが。。というのが本音なんだけどほとんど諦めてたりもする。

小食がトレンドに(なるといいなあ)

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歳をとったらやること。

実際オレももうすぐ年寄りになるわけだが。。

「基礎支出」を減らしていこうと思っている。てかこれMUSTだと思ってる。

つまり生活費+遊興費で、自身が人生に満足できるぐらいの額のことね。

この中で重要なファクターとして当然食費も含まれるから、まずは、食べる「量」を減らしていくのもMUST。


おいしいものを食べるのをあきらめろっていってるわけじゃない。少しでいいんだってこと。年寄りは。
小食が健康のキモだよ。

食に関する欲求を自身でセーブできれば、他の別な「欲求」のたぐいはほとんどセーブできるよ。


つまり、なんていうか。。
いわゆる「がめつさ」から年齢とともに解放されていかないと、人生楽しく暮らしていけないわけです。

和を以て貴しとなす

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和を以て貴しとなす、の晝馬輝夫さんの解釈は、すごい。目からうろこ。
いやもしかして先達がいるのかもしれないけどね。

この場合の「和」ってのは、足し算の「和」の和である、と。。平和の和ではない(かも)、と。。

ひとつたとえを引いて、宗教も、なんでもかんでも受入れて(これが「和」)うまく国として咀嚼することが「貴し」。

健康とは数値ではない。

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(20121229のメモ)
健康とは数値ではない。
・すがすがしい気持ちで一日一日を送れるかどうか(の積み重ね)である。
・仕事が「うまくまわっている」感覚を追求する(過程)である。

朝すがすがしくとも、ビジネス・シーンに飛び込めば常に敵キャラが襲来してくるし。
自分がすがすがしくとも周り(部下やステイクホルダ、お客さん等)はあなたの「すがすがしさ」を目の敵にし、引きずり下ろしにかかるかもしれない。そういう、嫉妬深いヤツばっかだから。

それは事実として、そうなんだから仕方がない。そんなヤツらに引きずられるのはホントにバカバカしい。
ので、どうするか? といえば、
・闘うこと。基本的に、健康になるためにはこちらから良い環境を求めなければならず、そのために「闘う」必要も発生するかもしれない。それは以前から申しているとおり。
敵キャラとも、たとえばそれがお客さんであっても闘う必要が生じるかもしれない。(ただし「暗闘」にとどめること)
・精神状態を常に安定させること。そのための努力を惜しまないこと。
一喜一憂しない。そのクセ(ちょっと前に流行った、「自分に素直に」とかそういう間違った考え)は今すぐやめなさい。
感情は、「最後の砦」である。セルフコントロールして常に安定させる。具体的にはね、常に自分に対して「どうどう」と自制をかけるクセをつける。ケイゾクすること。

ただ望んだってダメなのよ。

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まあただ望んだってダメなのよ。
強く望むとね、まず努力したくなるわけ。スポーツでいう「練習」ね。

言い方変えるとね、努力(練習)したくならないような願望なんてカスだよね。すぐうっちゃっていいよ。

だってさ、強く望むとふつー「むずむず」するはずだもん。「むずむず」ってのはね、「何かやらなきゃ何かやらなきゃ」っていう感情ね。ヒッシこいて「何かって何?」を探してる状態ね。

それって100%じゃないからね。「何かって何」は試行錯誤が当然。「わかった!」とか思って何かをやってみてぜんぜん的外れなんてことは日常茶飯事だって思っといたほうがいいよ。
たーくさんやってみるんだよ。

何か強く望んだことを実現させるため、パラレルにたーくさんやっている状態、まできたらしめたもんだ。


あそうそう、その状態まできてはじめて、「結果」を漠然とではなく具体的にイメージできるわけね。

何かを強く望んだとして、それを実現さすためにいろいろやっているうちに、どうしても微調整が入るわけ。ぶっちゃけその願望がちっちゃくなっちゃってることも、あるさ。現実を見据えるとね。
でもまあ、それは仕方がない。願望のベクトルさえあってれば、別にいいの。

でね、これはこの努力を続けていたら実現可能ではないか?という確信めいたところまできたときにはじめて、結果の具体的イメージがはじまるわけよ。

この努力を続けていたら「どうなるか?」をイメージすることそのものなんだよね、実現可能では?と確信することってのは。