元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

闇と無

ameblo.jp

闇が自分にもたらすものの多さ、素晴らしさについて以前書いたような気がするんだけど(闇は「無」であるにもかかわらずなぜ自分にたくさんのものをもたらすのか? 無じゃないじゃん、みたいな)

瞑想もまったく同じだな、と。瞑想で雑念を振り払って無になろうとする。
そもそも無になろうとするのはなぜか?

それは精神の休息なのか?(あ、これ正解に近いかも)

深いところで、無になることを求めてるってことか。人間は。

 答案をチラ見させてたし、そうさせなければいけない空気が教室にあった。

 

blog.goo.ne.jp

(この話はね、けっこう重要ですよ)
小学校んときってさ、今思い返すとずーっと「見られる」立場だったなあ、と。

主に勉強面でね。さすがにさ、テストんときにロコツに見せろって言われたことはなかったけど。。(たぶん)
後ろからオレの答案への視線は常に感じてたし、別にオレもロコツに隠したりはしなかった。(もちろん、ロコツに見せたりもしない)

ふつうの授業のときの、たとえばミニテスト?とかはもうおおっぴらに見られてたね。はっきり「見せて!」って頼まれてたし。

それをイヤだっていうと、かなり角が立つ。本ちゃんのときも、ロコツに隠したりするとたぶんめんどくさいことになったんだと思う。

今考えると、なぜオレが正当な理由で断るのに角が立つのか。。
たぶん、だけど、どこかで諦めたんだと思うんだよね。低学年の頃はイヤだったんだと思うんだな。でも、どこかで、慣れた。

でも、成績のいいヤツの脳味噌から出てくるアウトプットというのはすべてシェアされるべし!という不文律は、あったよなあ。

成績が並なヤツからみたら、オレの答案は常に95点以上であるわけだから、コピったほうがいいわけよゼッタイ。しかも、リスクは少ない。学校の授業のときのミニテストとかはリスクはほとんどない。本ちゃんのテストのときだってロコツにカンニングしなければバレないし、なんとなくバレないような空気になっていた。


で。。この話のポイントってわかる?

まずね、この話でいうクラス(庶民集団)の半分以上は、何がしかの難しい問題を解くことはできない。
これは、一般社会と同じ。

だから、一般社会では何か問題が発生したらまずネットでググったりして、他から「正解」をみつけてくるわけね。
そして、ググるだけじゃなくて人に聞くこともある。のだが、あんまり、自身の問題について人に相談するってことは、実はあまりない。
なぜなら、相手にとっても重いから。遠慮しちゃうんだよね。ネットって手軽じゃない?それとさ、google先生って万能だから、人に聞くより役に立つことがほとんどなんだよね。。

あ、ググるっていうのはめんどくさいからたとえね。たとえばYahoo知恵袋とか教えてgooとかもググるに包含されると思っといて。

まあでもさ、ググったり人に聞いたりしても、「正解しか出てこない」わけね。つまり。。解決はしてくれないわけ。当たり前だけどさ。

「私が解決してあげますよ」という人間にネット上で出くわすことはあるよ。でもそういうときって法外な値段を要求される。世の中そんなに甘くない

そう、カネが必要なの! そういう悪徳なヤツに騙されずとも、とにかく問題を解決するにはカネがかかる。(人力でなんとかなる問題であっても、人間を動かすにはカネがかかるんだよ?資本主義社会ってのは)

カネを払って、誰かになんかしてもらう。でね、人々がかかえている「難しい問題」ってのはなぜ難しいかというとけっこうなカネがかかるから。
2千円ぐらいで解決する話だったら当然「問題」とは呼べないわね。すぐ解決されちゃうもん。

ところで、ご近所さんにはあんまりカネって借りないよね。借りるとしたらカードローンでしょ一般的に。ご近所の金持ちなら無利子で、こころよく貸してくれるかもしれないけど(ホントに、他意なく、こころよく貸してくれるんだよ、たぶん。困ってるときはお互い様とかいってね)

で、さ。。
オレがいいたかったのは、一般社会でこの「カネ」に該当するのが学校でいう「テストの真の解答」である、と。
そこにおきかえてオレは考えたい。
そのぐらい、重要だって話ね。

まあ異論反論はあるかもしれないけど、とりあえずそう定義しておいて、話をすすめる。

小学校のテストでさ、わからないのならそのままにしとけばいいのにヒッシでとりつくろって、できそうなヤツの答案をみてまで自分の答案を良いものにみせようとするわけ。
それはね、全体のうちの6割方、そうしてた。もちろん、わからないのをそのまま白紙で出しちゃうヤツもいる。でも、6割の人間はね、まず、「わからない」という問題を回避するために前の日勉強しとけばいいものを、しない。先生がやさしく「ここは出るよー」といってるにも関わらず、勉強してこない。勉強してこないくせに、白紙で出さない。

それが「なぜ?」ってオレはずーっと思ってたわけ。
勉強してこないなら潔く白紙で出せばいいじゃんってね。当日になってあたふたしてオレの答案を後ろから横からちらちら見やがってよ。。

ホントはね、勉強してこないほうが悪いんだが、開き直る。
オマエらリソースをシェアしろよ、クラス全員で幸せになろうぜ? 答案なんてシェアするのが当然だろ?
と、くる。

そうすると、ヒッシこいて勉強してきたヤツらが馬鹿をみる、ような気がするでしょ?オレもつい最近はそう思ってた。

人の答案をパクるヤツは、何ら努力をせず(する気もなく)、当日ヒッシでズルしようとする。つーか当日ズルの能力に長けている。


この話を一般論におきかえるとね、多くの人間は幸せになりたいだのカネ持ちになりたいだの思ってるくせに、そうなるための継続的努力をしないじゃん? 

しないから、パンピーのままなのね、ずっと。当たり前だけどさ。
パンピーのくせに、パンピーを超えた希望(まあありていにいえば定期的な海外旅行とか身の程知らずのブランドものとか、そういうこと)を持ち続けるわけだ。

そのためにどうするかっていうと自分の給料を超えて、借金する。
それが、前述した学校の例でいうと、「答案のチラ見」に該当する。

でね、自分のカードローンの限度額の範囲内ならまだしも、それを超えてくると「カンニング」に該当する。
と、いうこと。

もちろん、2割ぐらいは幸せになることをあきらめてるからね最初から。細々とした給料で細々と暮らしてるよ。でもね、6割の中流と呼ばれる日本人は、そうじゃない。身の丈を超えたところに自分のレベルをおいている。
いわゆる「身の程知らず」ね。つまりゲタをはいてるということなのね。

だったらさ。。金持ちになる努力したら?死ぬ気で。幸せになる努力したら?毎日奥さんにバラを贈るとかさ。


ああ、ずいぶんと脱線してしまった。。
元に戻す。

で! 学校の話に戻るけど、みーんなオレの答案見てたとするじゃん。授業の中で行われるミニテストとかで。

ということは、オレのまわりはみんなオレと同じ点数でしょ?具体的には95点とか100点じゃん。

ところが、だよ。実は査定は横柄なんだよ。わかる?
先生はみーんなお見通しってこと。(オレにとっては)幸いにも。

ミニテストぜんぶ95点だったら、本ちゃんのテストでカンニングできずに60点だったとしても、評価は底上げされて通信簿は良いはずじゃん?
でも、そうはならんのよ、なかなか。
「先生」という機能はね、けっこう効いてるわけ。

だから、オレは、小学校中学年か高学年ぐらいから安心して、人に答案を見せれるようになった。。と、推測している。

だってさ、オールカンニングで平均95点のヤツとオレとで同じ成績だったら、さすがにオレも隠す手段を考えるだろう。でも、まったくそうではなかった。バカなヤツの評価はやはりバカだった。(失礼な言い方だけど)

オレの小学校にかぎっていえば、評価は公平だった。
田舎っつーのもあるけど。。つまり、先生っていうのは各生徒の「力量」をね、正確に把握していたわけよ。
オレは体育は「ふつー」だったし、運動神経抜群なヤツとの差はロコツだったからズルする機会すら与えられなかった。勉強も、オトナがみると「力量」はなんとなくわかるんだよ。いくらノイズ(ミニテストだけいいとか)が入ってもね。


そして、オトナになり。。「社会」っていうものの評価はさらに公平かもしれない。
クラスで、ミニテストのときにオレのまわりに群がっていて、自分で努力せずに成績のいいヤツの答案を盗み見する能力にだけ長け、それについて指摘されると「成績の良いヤツの答案はシェアされるのが当然」と開き直っていたバカどもの将来はどうだ?
つーか、アイツらどこに消えた?

そういうヤツらは間違いなく高卒だから(いくらなんでもどっかの高校には入っただろ。。)よくて今ごろ世の中の歯車だが、そもそも努力しないクセのついたヤツらだから、どう考えても底辺層から抜け出せてはいないだろう。

そういう意味では、答案をシェアすることを「空気」で強制されていたオレは、結果的に努力を強制されていたのとイコールであり、それを続けざるを得なかったということは、逆に感謝しなければならないのかもしれない。

預けきってない。

blog.goo.ne.jp

ほとんどのリーマン、OLがね、ランチどこいく?と聞かれてまず「どこでも」といい、じゃあラーメンにしよっかっていうと「ラーメン『だけ』はちょっと。。」という件。

そういうヤツらはマックもたぶんダメなのよ。え。。マックってそもそもランチ範疇だっけ? とか言い出す。吉野家もそう。

この問題wってけっこう前から議論wされてるけども。。

これはつまり「預けきれない」っていうことなんだよ。ハンパな自己主張は、残しておきたいわけね。
いやね、それを否定するものではないがではなぜ「なんでもいい」と預けるそぶりを見せんのかな?って。

ポイントはそこなんだよな。

「オレハンバーグがいい!」って、先陣切ってアイディア出しもしない。素案を出せば代案が出てくるんだから、まず素案出せばいいのにね。

なので、こういうシチュエーションで、「オレ(アタシ)●●の明太パスタがいいな」とかかなり具体的な素案出せる人は、大物になると思われ。(ホントだよ)

磨くの話

ameblo.jp

もしかして、「磨く」ほうが大事なのでは?と思うようになったのは、実はけっこう早かった。

だいたいの人は、掃除において、汚れとかホコリとかを落としておわり。
掃除機をかけておわり。

で、そのまま一生を終えるねw「磨く」ことが大事だとはつゆとも知らずに。
磨くことが大事なんだろうなと思いながらもできない、じゃないのね。
磨くことなぞ思いも及ばないのよ。

いやね、たぶん、そのまま「磨く」ことが大事だなんてことを知らないまま生きていたって、死んだって、なーんも困らんのよ。

でも、でもね、ってオレは思うんだわ。

掃除をね、一生懸命やってれば、やがて、作業が効率化されて、時間もかからなくなり、そして上手に汚れも落とせるようになる。
そこで、じゃあ別なこと(アソビとか)やろ、じゃなくて、掃除の次のステージにいったらいいと思うんだよね。

それが「磨く」なのよ。
「磨く」はね、汚れとかホコリがないのが前提だから。あたり一面キタナいのに磨きだけしっかりするってのもそれ意味ないし。

磨くとね、心も磨かれるんですよ。それ、実践してる人だけはわかってくれるんだけどねえ。

今ね、掃除の例で書いてるけど、人生および仕事全般でいえることだよ。

「楽」(ラク)をえげつなくとりにいくヤツ

ameblo.jp

得をガメつくとりにいくヤツも多いが、そういえば「楽」(ラク)をえげつなくとりにいくヤツも多いなあ。。前者と後者は同類だな。。

必ずしも「ラク」イコール「得」じゃないのにねえ。それが自身を破滅にむかわせるとも知らず。。
ご愁傷様ですw

それにしてもなんで「ラク」じゃなくて「楽しい」をとりにいかないのかねえ?
そのほうが「楽しい」のに。(シャレじゃないよw)

楽しいっていうのもイコール得じゃないよ。だってさ、自分が楽しいと思うことってたとえば奉仕だったりするし、奉仕ってのは「そういうヒトたち」からみたら「損」そのものだからねえ。

にこにこしようよ

ameblo.jp

総じて、年寄り連中ってみんなしかめっつらしてるイメージがある。
実際、そうなんだと思う。

オレらの世代は、ニコニコしてる年寄り連中になろうよ。

オレの上の世代の言い分として、「こんな時代ににこにこしてられるか」っていうのが、あるらしいのね。

いや、あのさ。。戦時中とか戦後のロクなもん食えない時代なら、わかるよ。
オレだって、そんな時代に生きてたらニコニコしてられっかよって思うよ。
まず生きるの優先だし。

でもね、ここが大事なところなんだけど、日本人ってのは、経済の高度成長に比例して、「笑顔を取り戻すべきだった」と思うんだよ。

ところが、日本人は経済の高度成長にともなってますます笑顔が消えていったように感じる。
聞いた話だけど、戦後、昭和30年前後? のほうが日本人に笑顔が多かったとかなんとか。

でもね、その理由もなんとなくわかる。日本人って安保以降、あたらしい成熟した悩みを抱えちまったわけね。
ベトナム戦争とかさ。

で、紛争が収束したと思ったらオイルショックでしょ。

ま、つまり。。収入は増えたが、支出も増えたんだろうね、単に。学費とかさ、遊興費とか。

じゃあ、じゃあだよ? 日本がサミットに参加した79年(?80年?まあいいや)ぐらいから、バブルが崩壊した90年ぐらいまでは、どうなのよ。
この頃日本の全盛期でしょ?ある意味。この時期に日本人に笑顔が増えなかったのはなぜだ?

それが、日本の大失敗なんだよ。
惰性で、しかめっつらのままきちまったんだよ。なぜなら、ニコニコしてるとバカだと思われたに違いないから。

バブル崩壊までに、なあ。。日本はいわゆる「戦後の総括」をしとくべきだったんだよなあ。。


あ。。話戻すけどさ、欠点ばっか探すなよって。なんかあれもほしいこれもほしいっつーのがあるかもしれんけどな、
食って寝て、働いて、ふつーに暮らせる生活を今キープできているのであれば、それに対して大・感謝して。そこからはじめなさいよってこと。

そのためには笑顔が必要なんだよな。

大人(たいじん)

blog.goo.ne.jp

大物、「大人(たいじん)」がね、怒らずに、いわゆる「背中」とか、オーラだけでさ、世の中を渡ってゆくための手法を知りたいんだよ。

いやね、もう大物になると怒らないじゃない。あれって、たぶんね、大物にとある事案が耳に入ってくるころには、部下たちが何度も激怒して事を進めてるんじゃないかと思うんだよな。
大物は最後に笑みを浮かべてサインするのみ、とかさ。

でもさ、それも部下にそう「させてる」ってことだよね。札束でひっぱたいてそういうヨゴレ仕事させてるわけじゃない、っていうか札束でなくとも人がついていく理由を知りたいんだわなオレは。

逆に考えると、ことあるごとに部下とかまわりに怒鳴りちらしてるマネージャーってよくいるけど、ああいうのってダメだね~
自分の器の小ささを周りにバラしてるようなもんだよね。
本人は気づいてないみたいだけど。
だって、怒鳴って、いってみれば恐怖で、引き連れてるってことでしょ。
部下もさ、しゃーないわね。上司に給料の増減握られちゃってんだから。渋々言うことは聞くだろうけど。。
オレが知りたいのはそういうことじゃないのよ。

オレにたいな小人が知りたいのは、まず今の大物は過去も怒らない人物だったのか、と。
そのあたりなんだよね。

背中っつーかオーラだけでビジネスパートナーが言うこと聞いてくれるんなら、世の中こんなに楽なことはない。
でも、世の中のほんの一部だけど、オーラだけでわたっていける人がいる。

そういうヒトは、昔からオーラがあったのか、修羅場を経験してオーラを形成してきたのか。。
あるいはどちらのパターンもあるのか。

あ、「修羅場」を経験するということはそういうヒトは過去には激怒りしていたってわけだな。
修羅場でニコニコしていられるヤツはおらんし。ニコニコしているヤツが皆無だからこそ「修羅場」と呼ぶわけだしな。


んーちょっとこれはもう少し考えてみよう。